おしとやかなだけじゃない
 
                         ◇まゆつば国語教室17
 
 
言語学の話は疲れたので、ひと休み(笑)
いつもの『今昔物語集』以外で珍しい話を……と探し始めたんだけど、あ、今昔にあれがあったな、とつい戻る(^^;)
で、今回も毎度おなじみ『今昔』から、“おしとやかなだけじゃない”女性のお話です。

むかし甲斐の国(山梨県)に、大井光遠という相撲取りがいた。
離れに妹が住んでいたが、この妹、年のころは27,8歳。すごい美人でありました。
 
ある時、この妹の家に、人に追われた男が逃げ込んできた。
妹に刀を突きつけ、人質にとって立てこもった。
召使いが光遠の家にかけ込み、事の次第を告げると、光遠は平然として、「妹を人質にはできまい」。
 
「はあ……(・Θ・;?)」
意味不明な召使い、妹宅の隙間からそっとのぞくと、
 
九月ばかりの事なれば、女房は薄綿の衣一つばかりを着、片手しては口覆(くちおおい)をして、今片手しては、男の(男が)刀を抜きて差し宛てし肱(かいな。腕)を、やはら(そっと)捕へたる様にて居たり。
 
片手で恥ずかしそうに口を覆いつつ、もう片方の手は、刀を自分に当てている男の腕をそっととらえています。
女性らしい仕草と、ビミョーな気配をただよわせる片手……
さて、妹は、
 
左の手にて顔を塞(ふたぎ)たるを、泣く泣く其の手をもって、前に箭篠(やじの。竹)の荒造りたるが、二三十ばかり打ち散らされたるを、手まさぐりに節(ふし)のほどを指をもって板敷(いたじき)に押しにじりければ、朽木などの和(やわらか)ならむを押し砕く様に、みしみしとなるを、「あさまし」と見る程に、これを質に取りたる男も目を付けて見る。
 
泣きながら、口を覆っていた手で、足元に散らかっている竹を取ると、指で、竹の節のあたりを床に押しつけて、ミシミシと砕いてしまいました。
男は「あさまし」=びっくり( ̄□ ̄;)!!
 
そっと逃げ出した男、村人たちに捕えられてしまいます。
光遠、あざ笑って言います。
「もし、おまえが刀で突こうとしたら、腕をひねられて、かえっておまえの肩骨を切ることになるだろう。妹がおまえを打ち伏せて腹を踏んだら、おまえは身動きできない。」
……いやはや。
 
「女房(女=妹)は光遠二人ばかりが力を持ちたるぞ。さこそ(そのように)こまやかに女めかしけれども、光遠が手戯れ(たわむれ)するに、とらへたる腕を強く取られぬれば、手ひろごりて、のがしつべきものを。哀れ(ああ!)これが男にて有らましかば、かなふ敵無くて、手なむどにてこそ(強い力士?などで)は有らまし。口惜しく女に有りけるこそ」
 
こいつの力は、相撲取りのおれの二人分なんだ。こまやかで女らしくしているが、おれがたわむれしても、かわしてしまう。ああ、こいつが男だったら、すごい相撲取り(? ここ、よくわかりません)になれるのに!
 
「男にて有らましかば、~手なむどにてこそは有らまし」の
「ましかば~まし」というのは、古文の授業で聞いたことありませんか?
そう、「反実仮想」という表現です。事実に反して仮に想像すること。「もし~だったら、~なのにぃ」というやつです。
英語の「If I were a bird, I would fly in the sky !」というやつです。
(英語あぶない。前置詞がinでいいのか不安(;´Д`))
 
己よ、聞け。其の女房、鹿の角の大きなるなどを膝に宛て、そこら細き肱(かいな)を以って、枯木など折る様に打ち砕く者をぞ(打ち砕く者だぞ)。まして己れをば云ふべきにも非ず」と云ひて、男をば追ひ逃してけり。
 
「鹿の角の大きなるなどを」は、「鹿の角で、大きいものなどを」と訳すのが、大学受験までのルールです(笑)
というのは、
「角の」の「の」は、「同格の『の』」と言いまして、「鹿の角」と「大きなるなど」が同じもの、文中で同じ資格で使われていることを表しているんです(難しい…)。
ぶっちゃけて訳すと、「鹿の角を……あ、それは大きい角なんだけど……それを、」という感じの表現です。
 
男を殺したりせずに(当時の話では、こういうとき普通に殺す)、説教して逃がしてやったんですね。
光遠、けっこうやさしい(*゚▽゚*)
 
 
女性はおしとやか──
貴族女性はそれがデフォルトですが(心の中はともかく(^^;))、庶民はけっこうたくましい。
道で若い女に目移りする夫を、力いっぱい殴りとばす奥さんも、『今昔』にはたしか登場したような。
庶民の女は、おしとやかだけでは生きられない?!
 
あ。
ちなみに、ぼくは土性沙羅さんのファンです(^^;)