浦島太郎の変遷
 
                                                                                     ◇まゆつば国語教室27
 
今回は長文注意、です(〃∇〃)
 
おなじみの昔話の中には、ものすごく古い、神話時代からの物語があります。
浦島太郎が代表でしょうか。
ぼくらが知っているお話とは、内容がちょっと違っていた。
で、きょうは読み比べ。浦島太郎物語の変遷について。

【日本書紀】
 
浦島太郎伝説が語られている一番古い文献は、たぶん日本書紀です。
 
丹波国余社郡の管川の人、端江浦島の子、舟に乗りて釣りす。
遂に大亀を得たり。便に女に化為せる。
是に、浦島子、感りて婦にす。相遂ひて海に入る。
蓬莱山に到りて、仙衆
(ひじり)を歴り(めぐり)観る。
語は別巻に在り。
 
これだけの内容です。
「詳細は別の巻きにある」というけど現存しないようです。
 
丹波国余社郡というのは、現在の京都府西部。
そこの浦島子(うらしまこ)が、舟で釣りに出て、大亀をとらえた。
子どもたちにいじめられていた亀を……という話じゃない。
名前も「太郎」じゃないし(〃∇〃)
 
この大亀はたちまち女人に化けた。浦島子は感じる所あって(美人だった?)これを妻とした。
そして二人は海に入って蓬莱山へついた。たくさんの仙人に会った。
以上──。
 
なぜ海に入った?
奥さんの実家だから?(笑)
それとも入水心中?(゚o゚;;
 
ともかく、ついたところが蓬莱山。中国の神仙思想にある、仙人の住む山ですね。
俗世(人間界)から神仙の世界(仙人界)へ──それが、浦島物語の原型のようです。
 
『日本書紀』が完成したのは720年頃。
万葉集にも風土記にも出てくるので、7世紀には浦島の物語が広まっていたんですね。
日本の神話か、土俗的な伝承か、あるいは中国由来の物語か……。
出所は微妙な気がします(・Θ・;)
 
 
【丹後国風土記】
 
8世紀に成立した浦島関連の書物のなかでは、『丹後国風土記』が一番詳細です。
その主人公の描写は、
 
人となり姿容秀美(かたちうるは)しく、風流(みやび)なること類(たぐい)なかりき。
こは、いはゆる水江浦島子といふ者なり。
 
丹後国(京都府北部)の風土記だから、舞台は、日本書紀の「丹波」の隣です。
名前は「水江浦島子」。
イケメンで、風流なことこのうえなかった。
──ということは、それなりの身分の人か?
 
長いので、あらすじを現代語で記します。
 
この水江浦島子、ある日、一人で小舟に乗って海へ出た。三日経ても魚は一匹も釣れなかったが、五色の亀を釣り上げた。不思議に思ってひと眠りすると、なんと、みめ麗しい乙女になった(日本書紀と同じ展開ですね)。
浦島子の問いかけに、乙女は「風流の人とお話がしたかったから」と言います。
 
なぜ風流人だとわかった?
もともと知っていた? やはり超能力のある神仙系の人(亀)か?
 
──はい、そうです。乙女は自分のことを「天上仙家の人なり」と語ります。
 
彼女が眠るように命じ、浦島子が目覚めると、いつのまにか海中の大きな島についていた。館の門に入ると、七人の童子、八人の童子が迎えるが、彼らはそれぞれ「すばる星」(プレアデス)と「雨降り星」(ヒヤデス)だと言います。
 
中国の易学、神仙思想、陰陽道は、天文学と密接につながっています。
天の星の動きから、地上で起きる出来事を予想したりします。
宗教であると同時に、学問でもあります。
 
ついたのは神仙の島で、海底の竜宮城ではありません。
館で楽しい日々を過ごすこと3年、浦島子は郷里を思い出して、俗世に帰りたいと言います。乙女は別れを悲しみつつ、玉匣(たまくしげ。美しい箱)を渡し、「戻ってくる気があるなら、決して開けるな」と忠告します。
 
おう。
われわれの知っている浦島太郎とほぼ同じですね。玉手箱登場。
 
帰り着くと、辺りの様子が変わっている。郷の者に聞くと、浦島子は海に出たまま帰らなかった、ということになっていた。
これも同じ。
 
島子すなはち、ちぎりにそむきて、還りてもまた会ひ難きことを知り、首を廻らしてたたずまひ(ためらい)、涙にむせびて徘徊(たもとほ)りき。
ここに涙を拭ひて歌ひしく、
  常世辺
(とこよべ)に 雲立ち渡る 水の江の 浦島の子が 
  言(こと)持ち渡る
また神女、遥かに芳音
(よきこえ)を飛ばして歌ひしく、
  大和辺に 風吹き上げて 雲離れ 退き居りともよ 
  吾を忘らすな
(中略。歌のやり取りが続きます)
のちの人、追ひ加へて歌ひけらく、
  水の江の 浦島の子が 玉匣 開けずありせば 
  またも会はましを
 
なぜ玉手箱を開けたのか──。
乙女にはもう会えないだろうと思ったんですね(なぜそう思ったのかは不明)。
悩んだあげく、禁じられた箱を開けた。開けてはいけないパンドラの箱を。
 
こういうとき歌をやり取りするのは、後世の「伊勢物語」などの歌物語と同じ。
すごいのは、乙女(神女となっている)も、はるか海の彼方からテレパシーで歌を飛ばしてくること。
内容は「私のことを忘れないで」。
 
しかし、乙女の超能力を持ってすれば、浦島子を迎えに来られそうな気も……( ̄ー ̄?)
最後に、後世の人が「箱を開けなければまた会えたのに」と歌っています。
 
海のかなたの島で3年。俗世では何年経っていたのか、ここでは不明。
いろいろな同系の物語によると、300年というのが一般的のようです。
 
 
【御伽草子】
 
室町時代の短編集『御伽草子』で、現在の浦島太郎の形がだいたいできあがります。
恩返しのモチーフも、海中の竜宮城も、浦島太郎、乙姫、玉手箱の名前も登場します。
 
昔、丹後の国に浦島といふもの侍(はべ)りしに、其の子に浦島太郎と申して、年のよはひ二十四五の男ありけり。
あけくれ海のうろくづを取りて、父母を養ひけるが、ある日のつれづれに釣りをせむとて出でにけり。
浦々島々入江々々、至らぬ所もなく釣をし、貝をひろひ、みるめを刈りなどしける所に、ゑじまが磯といふ所にて、亀を一つ釣り上げける。
浦島太郎この亀にいふやう、「汝
(なんじ)生あるものの中にも、鶴は千年、亀は万年とて、いのち久しきものなり。忽(たちま)ちここにて命をたたむ事、いたはしければ助くるなり。常には此の恩を思ひいだすべし」とて、此の亀をもとの海にかへしける。
 
亀をつかまえた浦島太郎、「亀は万年というのに、ここでいきなり殺すのは忍びない」と言って逃がしてやるんですね。
 
子どもたちにいじめられていた話はない!?
 
それはまだなんです。いったい、いつ追加されたんでしょ……??
それにしても、逃がす時に「常にこの恩を思い出せ」なんて、かなり押しつけがましい(;´Д`)
 
で、龍宮城も登場。四方の戸を開けると、それぞれ美しい四季の風景が広がる。
楽しく暮らすうちに、気がつけば早3年。
置き去りにしてきた父母のことを思い(やっと?)、ひと月おいとましたいと乙姫に申し出ます(サラリーマンの有給休暇か!)。
 
すると乙姫、さめざめと泣いたあと、
 
また女房(=乙姫)申しけるは、「今は何をか包みさふらふべき(何を隠しましょう)。みづからはこの龍宮城の亀にて候ふが、ゑじまが磯にて御身に命を助けられまゐらせて候ふ、其の御恩報じ申さむとて、かく夫婦とはなり参らせて候ふ。又これはみづからがかたみに(私の代わりとして)御覧じ候へ」とて、ひだりの脇よりいつくしき筥(はこ)を一つ取りいだし、「相構へて(決して)この筥を明けさせ給ふな(お開けにならないでください)」とて渡しけり。
 
最後の「明けさせ給ふな」の「させ」は使役ではなく、尊敬の助動詞です。
自分は、あの時の亀だと正体を明かし、箱を渡して「開けるな!」。
 
条件も理由もなしに、ただ開けるな、と禁止するなら、そんなもん渡すなよ\(*`∧´)/と言いたくなりますよね。
 
帰ってみると、故郷は変わり果て、知り合いは誰もいない。
浦島太郎、箱を開けます。
 
この箱をあけて見れば、中より紫の雲三すぢ上(のぼ)りけり。これを見れば、二十四五の齢(よはひ)も、たちまちに変はりはてにける。さて、浦島は鶴になりて、虚空に飛び上りける。
 
浦島太郎、おじいさんになったのは現代版と同じですが、鶴になって飛び立つんですね。
で、浦島明神という神様になり、乙姫と夫婦神(めおとがみ)になります。
めでたしめでたし。
 
最後がなんとハッピーエンド(^ω^)なんですね。
(神になる、というのは死ぬことでもあるから、ほんとは微妙ですが)
 
さてさて、もう一つの相違点である「子どもたちにいじめられていた亀」のモチーフは、いつから?
 
 
【国定教科書】
 
明治時代に国語の教科書に載せられたとき、浦島太郎の物語は最後の改変が行われます。
 
竜宮城での乙姫とのラブラブ生活は大幅カット(子供向けだから当然か)。
さらに、「いじめられていた亀を助けて、その恩返しに……」というモチーフが加えられます。
 
これは道徳教育的な要請からでしょうね。
こういう改作をして子供向け読み物にしたのは、明治の文学者、巌谷小波だそうです。
それが国定教科書に載せられ、一般に定着していったんですね。
鶴になって、乙姫と夫婦神になって……という結末も、このとき、なぜかカットされました。
 
いやいや。
おなじみの浦島太郎物語ひとつ取っても、長い歴史と変遷があるんですね。
昔話、おそるべし。