精霊の話 その1

                                                                                          ◇まゆつば国語教室 29
 
 
いつのまにか、このシリーズの教科書になった『今昔物語集』(笑)には、
あやしげな“モノの霊”が登場する話がいくつかあります。
鬼とか天狗とか、人を食ったりする怖いモノではなく、あるいは、狐のような人を騙すモノでもなく、ここに登場する精霊たちはとくに悪さをするわけではない。
でも、なんか変。なんかこわい……。
夏のひと日に、そんな不思議な精霊たちのところへ、ちょっと小旅行(^^;)
 
 
  1 柱の節穴から
 
左大臣、源高明のお屋敷での話。
寝殿の母屋の柱に、節穴が開いていました。
その節穴から、夜になると……
 
夜になれば、その木の節の穴より、小さき児(ちご)の手をさし出だして、人を招く事なむありける。
大臣(おとど)これを聞き給ひて、いとあさましく怪しび驚きて、その穴の上に経を結ひつけ奉りたりけれども(経文を結びつけたが)、なほ招きければ、仏(仏画)をかけ奉りたりけれども、招く事なほ止まざりけり。
かく様々すれども、あへて(まったく)止まらず。二夜三夜(ふたよみよ)を隔てて、夜半ばかりに人の皆寝ぬるほどに、必ず招くなりけり。
 
小さい子供が、節穴から手を出して、人を招く。
家族や召使いから聞いたんでしょう、大臣は驚いて、節穴の上にお経を書いた紙を貼りつけた。
仏教の力で、あやしいモノを封じ込めてもらおうということですね。

でも、やまない。
次は、仏を描いた絵をかけたが、やっぱり止まらない。
2、3日おきくらいに、真夜中、人が寝ついたころ、おいでおいでと手を振る。
 
「人の皆寝ぬるほどに」──人がみんな寝たのに、なぜ「招く」ことがわかる!
とつっこみが入りそうです。
 
「人の皆~」というのは、大臣の家族や、主だった家臣・女房たちのこと。
警護の下僕たちは、交代で起きているんでしょうね。(それは「人」に含まれない!)
 
さて困った。
 
しかる間(そうするうちに)、ある人また試みむと思ひて、征矢(そや。戦争用の矢)を一筋、その穴にさし入れたりければ、その征矢のありける限りは(ある間だけは)招くことなかりければ、その後、矢の柄(から)をば抜きて、征矢の身の限り(芯の部分だけ)を穴に深くうち入れたりければ、それより後は招くこと絶えにけり。
 
なんと、矢を穴につっこんだら、とまったんですね。
 
仏教の力で封じられなかったモノが、矢で封じられた!
 
破魔矢というのがあるように、矢は、古くからの神道系のお守りです。
仏教に神道が勝った( ̄ー ̄?)
この時代、「仏教の方が尊い」というのが一般的な常識。
筆者も首をかしげます。
 
これを思ふに心得ぬことなり。定めて(きっと)物の霊などのする事にこそはありけめ(ことであったのだろう)。
それに征矢の験(げん)、まさに仏・経にまさり奉りて恐れむやは。
されば、その時の人皆これを聞きて、かくなむ怪しび疑ひけるとなむ語り伝へたるとや。
 
結局これは、モノの霊のしわざとされています。
そして、征矢の効果の方が、仏画やお経よりまさっていたことに対して、「~やは(そんなことがあろうか、いや、あるはずがない)」と強い反語で疑念を投げています。
 
それにしても、この精霊、なんだったんでしょうね。
幼くして死んだ子供の霊が、人恋しさに、こっちへ来て!と招いたんでしょうか。
しかし、なぜ、柱の節穴から……???
 
悪さをするわけではない。
ただ、不気味で怖いだけ……。
不思議なお話です。
征矢で封じ込めたのが、なんか可哀想な気も……"(-""-)"
 
 
 
長くなってしまったので、
で、かみさんがサイクリングに行っている間に、掃除やら買い物やらを済ませなくてはいけないので、本日はここまで。
続編は追って……<(_ _)>