童話の書き方(前)
 
                                                                  ◇まゆつば国語教室 36
 

最近、近所の図書館で古い本を2冊見つけて、借りてきました。
一つは「わたしの童話創作ノート」(国土社、寺村輝夫)
「ぞうのたまごのたまごやき」を書いた人です。その25年後の本。
このなかで「なるほど」と思ったことを断片的にメモしてみます。
 
あんまりたくさん引用するのも著作権上どうなんだろ、なので、ぽつぽつです。
ま、これも「国語の勉強のうち」ということで。
 
 
◇子供は変わった。一番変わったのは感覚。漫画を読む異常な早さ、漫才師の早口やギャグを理解する感度。そういうのをくだらない、わからないと言っていてはダメ。
 
◇子供は大人を敵と考える。敵から逃れ、やっつけることに成長のエネルギーをぶつける。
 
◇授業終わりのチャイム。「終わり」ととらえるだけではだめ。子供は「休み時間の始まり」ととらえる。子供側の立場に立って考える。
 
◇鍋料理を子供がつまらないと言って立ちあがった。行儀が悪いと叱ったが、子供の視線では食べ物が見えなかったのだ。子供の視線は大人と違う。
 
◇しつけ、教育、保護──ではなく、「子供への挑戦」が童話の本質だ。相手を知り、闘いを仕掛ける、受けて立つ。手を抜いてはいけない。弱者などとバカにしてはいけない。
 
◇自分の思い出に感傷を交えて「美しい世界」を描くのが童話ではない。ガキ大将の復活を、という物語がよくあるが、ガキ大将は親の権力やカネでひどいことをしていた。うすっぺらな感傷を押しつけるな。
 
◇お星さまや、きれいな花の世界から離れよ。「いい気なもんだ」と子供は笑う。作者が自分の感傷を捨て、子供の現実を直視するところから、子供を振り向かせる美しさや優しさや夢は生まれる。「教訓を与えよう」とするな。
 
◇お母さんはごはんを作り、やさしくて、いつも叱り、勉強しなさいと言い……。パターン化したものにはうんざり。包丁の音で目が覚めると味噌汁の匂い……朝はそうと決まっているのか。
 
◇夢を見るのは最も安易な逃げ道。夢を見てもいいが、作者に都合のいい夢はダメ。本質的な葛藤は夢の中でなく、現実の中で堂々と解決されるべき。
 
◇お母さん童話の特徴は、こういう子供になって欲しいという「しつけ」が入っていて、それを子供の行動に仮託して語らせること(なぜか親の思い通りの行動を取る)。子供はおもしろくない、と思う。
 
◇curious──知りたがりであれ。いつもアンテナを張り、常識に左右されず、自分の目と感性で周囲を見よ。子供がそうであるように。
 
◇るすばんは怖い、不安。そうだろうか。お母さんがいなければ子供の天下、やかましく言う人はいないし、冷蔵庫も好きに開けられる。だから楽しい。そういう発想が大事。
 
◇作者自身が「おもしろい生活」をすること。ゴキブリが走ったことでも、道ばたにゴミが落ちていることでも「おもしろい」と感じるアンテナがないと童話は書けない。
 
◇童話の構成は単純なのがいい。起承転結。話して聞かせられるもの、語って伝えたくなるもの、何度聞いても飽きないもの。単純なストーリーでないとむり。昔話が基本。
  ・起──話の条件を簡潔に。主人公、場所、なぜ話が起きるか。
  ・承──繰り返し(積み重ね)を有効に。子供と一緒に遊ぼう。
  ・転──常識にとらわれず、一発逆転の意外な策をひねり出せ。
  ・結──簡潔に。余計な教訓は不要。
 
◇子供は成長のエネルギーを最もはげしく持っている人間。最も意志的で行動的。しかし、生き方に最も大きな制約を受けている。童話はそんな子供のエネルギー──時に反抗的な──に応えなくてはならない。
 
◇ぼんやりしている子供に紙を与え、飛行機を作らせる。だめ。子供は自分の意志で紙を獲得し、自分の能力でこしらえた飛行機に乗って空想の世界に入りたい。そこに作る意味があり、作る喜びがある。大人が与えてしまうのでは、子供の空想ではなく、大人の妄想。
 
 
ふう。疲れた "(-""-)"
いいこと言ってますね。
 
 
◇笑う、泣く、怒る、怖がる……すべて「面白さ」だ。日常では感情を抑制しなければならないから面白くない。だから、我々は面白さを求める。童話も面白くなくては、子供の感情解放に応えられない。そして、面白さがテーマとつながることが大切。
 
◇常識と違う意外性で勝負、というやり方がある。「まさかぁ」。突然の方向転換。
 
◇痛快な笑い(ウィット)と、感情を動かす笑い(ユーモア)がある。前者にはナンセンスな笑いが含まれる(感情でなく感性に訴える)。後者は欠陥のある登場人物が一つの手。欠陥があるから同情心がわき、共感が生まれる。
 
◇物事には双義性がある。うそはいけない、改めよ、罰を受けるべきだ──だけでなく、うそをついてしまう人間への理解があって、共感を得られるものになる。「まじめ」すぎないこと。
 
◇日本の児童文学はテーマ主義に偏りすぎ。登場人物の造型(人物自体の面白さ)にもっと力を注いでもいいのでは。
 
◇読者にわかるように説明する。しかし子供の世界を壊してはいけない(子供がやらない説明的な会話など)。子供らしい会話で示せないことは、地の文でカバーする。
 
◇読者とともにある人物(多くは主人公)を、なるべく書き出しから登場させる。情景描写より、人物の心の動きを大切に。心の動きとシンクロするような情景描写が、主人公の視点を保たせる。
 
◇主人公が家族の帰りを待って窓辺にいる→窓外の「近景」を描写するのは不自然。主人公は、家族が現れる「遠くの方」を見ているはずだから。主人公の視点で情景描写を=リアル感。
 
◇「しーん」「静か」などとナマの言葉を使わない。静かであることを描写で。
 
◇三人称で書く場合も、純粋な客観ではいけない。子供は特定の人物になって物語を読む。
 
◇主人公には原則として敬称をつけない。敬称なしだと三人称でも一人称視点が生まれやすい(子供が自分の身に置きかえやすい?)。文章もしまる。
 
◇主人公の「行動」によって物語を進める。状況が動き、主人公もなんとなく動く──のはよくない。常に主人公の心の動きを考えること。
 
◇会話は、人物の思考や心情を説明するのに有効。うまく使って、説明文(地の文)はカットする。
 
◇一つのセリフに、二つの内容を入れないこと! 子供はわからない。
   ✕「学校へ行きたくないなあ。寒いのきらいだし」
   〇まず「学校へ行きたくないなあ」。→お母さんにせきたてられて「寒いのきらいだし」。
 
◇幼年童話の場合は、なるべくセリフの主体を前に入れる。幼年は一字一句たどりながら読むので、主体がすぐにわからないと理解困難になる。動作の対象もなるべく前に。
   ✕「~」。お母さんが言った。    〇お母さんが言った。「~」。
   ✕ライオンが「~」とキツネに、 〇ライオンがキツネに、「~」と
※これ、気づかなかったなあ……(;´Д`)
 
◇セリフは強い印象を与える。大事な説明をセリフの後ろに一文でくっつけると、かすんでしまう。→文をいくつかに分ける。最後をセリフでしめる。
 
◇比喩は、子供がリアリティを感じられるもので。「主人公の目に見え、体験できる感覚」「物語の内容に合ったもの」が比喩の基本。
   ✕お母さんは鬼のように → 鬼は実感できない。鬼は物語と(ここでは)関係ない。
 
◇比喩はなるべく使わない方がいい。比喩より、たとえばセリフの激しさで「感じさせる」ほうがいい。むだな形容詞も使わない。基本的な文型だけで語れるのが理想。
物語の内容に重大なかかわりがあることについてだけ、効果的な形容を使え。
 
◇擬音は大切。慣用的なものでなく、リアルな擬音を発明せよ。
 

   ……  ……  ……  ……  ……  ……  ……
 
 
以上。
当たり前だろそんなこと、というものもあるだろうし、目から鱗、というものもあると思います。
ぼくはまったく不勉強なので、目から鱗がボロボロでした。
 
戦後児童文学の主流だった(である)「文学的価値」「純粋な子供」「大人が教え導く」といったような視点と対立する考え方をお持ちのようです。
 
次回は、一緒に借りた斉藤洋さんの本から。
このレポは短かそう(内容がそれほど………(^^;))