子を見捨てた僧
 
                                        ◇まゆつば国語教室 40
 
 
親を食ってしまった僧の話を取り上げたので、今度は、大水に流された子を見捨てた僧の話です。
親と子、今昔の価値観の違いを考えさせられます。
今昔物語集・本朝仏法部・巻19第27話より。
 
淀川の川辺にお寺があり、その寺の僧には、可愛がっている男の子がいました。
五、六歳くらいで、色白く、顔立ちも性格もすばらしかった。
あるとき、淀川が増水して、川べりの人家がたくさん流された。
 
その水に、この法師の家、押し流されにけり。
しかれば、その家に年老いたりける母の有りけるをも知らず、この愛する子をも知らずして、騒ぎ迷ひけるに、子は前に流れて、母は一町ばかり下りて、浮かび沈みして、流れ下りけるに~
 
僧の家も流された。
家の中には、年老いた母と子供がいたのだけれど、僧は知らずにバタバタしていた。
子は手前の方、母は百メートルあまり先を流されて、浮かび沈みしていた。
 
この法師、色白き児の流れけるを見て、
「彼れは我が子なめり
(であるようだ)」と思ひて、騒ぎ迷ひて、游(およぎ・抜き手)を掻きて、流れ合ひて見るに、我が子にて有れば(であるので)、喜びながら、片手を以って子を提げて、片手を以ては游を掻きて、岸様に(きしざま・岸の方へ)来たり着かむとする程に~
 
わが子を発見!
片手でかかえて、必死に岸へ泳ぎます。
 
また、母、水に溺れて流れ下るを見て、二人を助くべき様は無かりければ(なかったので)、法師の思はく、「命有らば、子をば、またも儲けてむ(もうけてむ・きっと作れる)。母には、只今別れなば(別れてしまったら)、また値ふべき様無し(会える方法がない)」と思ひて、子を打ち棄て、母の流るる方に掻き着きて、母を助けて、岸に上せつ。
 
どうでしょ。この考え方。

泳ぎながら二人は助けられない。となれば……
子はまた作れるが、母は二度と会えない。(・Θ・;)
子を水の中に捨てて、母を助けました。
 
母、水呑みて、腹脹(ふくれ)たりければ、疏(つくろ)ひ助けつるに、妻、寄り来て云はく、「汝は奇異(あさまし)き態しつる者かな。目は二つ有り。只、濁り有りて、白玉と思ひつる我が子を殺して、朽木の様なる嫗(おうな)の、今日明日死ぬべきをば、いかに思ひて取り上げつるぞ」と、泣き悲しんで、云ひければ~
 
子の母(奥さん)は怒ります。
白玉のわが子を殺して、今にも死にそうな朽ち木のような老婆を助けるなんて!
すると、
 
父の法師、「現に云ふ事、理(ことわり)なれども、明日死なむず(死ぬだろう)と云ふとも、いかでか、母をば子には替へむ(どうして母を子に替えられようか)。命有らば、子はまたも儲けてむ。汝、歎き悲しむ事無かれ」と、誘(こしら)ふと云へども(言いきかせるが)、母の心やむべきに非ずして、音を挙げて泣き叫ぶ程に~
 
また先ほどの理屈を、妻に言って聞かせます。
奥さんは泣き叫び続けます。
そりゃ、そうでしょね。(・Θ・;)
そのとき、
 
母を助けたる事を、仏、「哀れ」とや思(おぼ)しめしけむ(お思いになったのだろうか)、その子をも末に、人、取り上げたりければ、聞き付けて、子をも呼び寄せて、父母あひ共に限り無く喜びけり。
 
よかった♥
子供も、だれかが助けてくれました。
喜び合う親子三人。

ん? めでたしめでたし?
 
その夜、法師の夢に、見知らぬ、やんごとなき(徳の高そうな)僧来て、法師に告げてのたまはく、「汝が心、甚だ貴し」となむ讃め給ふと見て、夢覚めにけり。
「まことに有り難き
(めったにない)法師の心なり」とぞ、これを見聞く人、皆讃め貴びけるとなむ、語り伝へたるとや。
 
はい。
やっぱり、めでたしめでたし、なんですね。
周りの人々も、作者も、この僧の考え方や行為を褒めちぎっています。
 
ぼくは、子供と母とどちらが大事──というより、
「いったん助けた子を見捨てて、母を助ける」ことの是非だと思うんですが。
そんなことは問題外なんですね。

愛する子より母を大事にした=親孝行、すばらしい、という論理です。

それは同時に、「子供は自分の持ち物」という発想でもある。
大事な持ち物を捨てて、母の命を救った。だから偉い、というわけです。
 
子供は親の所有物──それは実は、古今東西ずっと続いてきた(かなりの国で今も保たれている)価値観です。
「主君のために自分の子供を身代わりに殺す」という話、歌舞伎によくありますよね(熊谷陣屋、伽蘿先代萩(めいぼくせんだいはぎ)など)
民衆は涙しながら拍手喝采したわけですが、どうでしょ。
ぼくは違和感がぬぐえません。
子供は親の所有物、という発想が根っこにあるのが、どうしてもだめ。"(-""-)"

       *     *     *     *
 
「大切な家族、どちらを助ける」というテーマで、ぼくの好きな話を最後に。
出典を忘れてしまったので、覚えているまま概略を……。
 
あるとき、孔子に弟子が尋ねた。
「家が火事になったとします。妻と母と、どちらか一人しか助けられないとしたら、先生はどちらを助けますか」
孔子は笑って即答した。
 
 
 

「そのとき近くにいる方を助けるさ」