夢を取る──今昔の夢 1

 
                                                                                        ◇まゆつば国語教室 43
 
 
きのう怖い夢を見ました。
夢を見ること自体が久しぶりで(目ざめて覚えているのが久しぶりで)、まして怖い夢はしばらくご無沙汰だったので、動悸がなかなか収まりませんでした(笑)
そういえば高校から大学にかけては、怖い夢ばかり見ていたような気がします。
まっ暗な荒野で何かに追いかけられたり、何かを殺したり……。
フロイトやユングやシュールレアリズム運動にはまっていたころでした。
 
おなじみ今昔物語集から、夢の話をいくつか取り上げてみようと思います。
有名な話もありますが、創作などの参考になれば幸いです。
 
 
学者から最高権力まで上りつめた人と言えば菅原道真が有名ですが、奈良時代にもう一人、吉備真備(きびのまきび)という人がいました。
吉備(岡山県)の地方豪族の家柄で、貴族階級ではありません。もちろん、中央での出世など望むべくもない──はずでした。
ところが、遣唐使に留学生として加わったのをきっかけに、下級官吏からみるみる出世し、知識と才覚と好運を武器にして、ついに正二位右大臣まで上りつめます。
驚くべきことがあると、「それは起きるべくして起きたのだ」という理由付けの物語が、しばしば後から作られます。
これもそんな話だと思われますが、当時の人たちが「夢」をどんなふうにとらえていたかを考える材料になります。
 
※例によって、漢字の使い方、送り仮名などはいくつか読みやすく変えました。
 
昔、備中の国に郡司がおり、その息子に吉備真備という人がいた。
夢を見たので、「夢合わせ」をしてもらおうと「夢解き」の女のもとへ行った。
夢合わせというのは、夢がどんな未来を示しているのか、その吉凶を占ってもらうこと。
職業にしているプロフェッショナル(巫女さん系のおばあさんか)がいたようです。
どんな夢を見たのかは書いてありません。
夢合わせをしてもらった後、その女の人とおしゃべりしていると……
 
人々あまた声して来なり(来るようだ)
国守の御子の太郎君のおはするなりけり。
年は十七八ばかりの男にておはしけり。心ばへは知らず、容貌は清げなり。人四五人ばかり具したり。
 
国司の長男のようです。十七、八歳の、性格は分からないがけっこうイケメン。お付きの者どももいる。
 
「これや夢解きの女のもと」と問へば、御供の侍「これにて候ふ」と云ひて来れば、まき人(吉備真備)は上の方の内に入りて部屋のあるに入りて、穴より覗きて見れば、この君入り給ひて、「夢を云々見つるなり。いかなるぞ」とて語り聞かす。
 
隣の部屋の壁の穴から覗いて見ると、このお坊ちゃんは、自分が見た夢の内容を、夢解きの女につらつらと話している。
 
女聞きて「よにいみじき御夢なり。必ず大臣までなり上がり給ふべきなり。返す返すめでたく御覧じて候ふ。あなかしこあなかしこ、人に語り給ふな」と申しければ、
この君、嬉しげにて衣を脱ぎて女に取らせて帰りぬ。

 
大臣まで出世するという、世にも素晴らしい吉夢。
そして、夢の内容を「けっして人に語ってはいけない」と女は言います。
人に語ると、夢の効果が消えてしまうんですね。
 
その折、まき人、部屋より出でて女に云ふやう「夢は取ると云ふ事のあるなり。この君の御夢、我に取らせ給へ。国守は四年過ぎぬれば帰り上りぬ。我は国人なれば、いつもながらへてあらんずる上に、郡司の子にてあれば、我をこそ大事に思はめ」と云へば、~
 
真備は女に言います。「あの坊っちゃんの夢、おれにください!」
人の夢を取る、ということが普通に行われていたようですね。
国司は四年で任期が終わって都に帰ってしまう。おれは地元の人間だからずっといるし、地元のボスの郡司の子なんだから、おれのほうを大事にしろ──
露骨な利益誘導ですね(^^;)
 
女は即決で従います。
さて、人の夢を取るって、どうやるんでしょうか。
 
女「述べ給はんままに侍るべし。さらば、おはしつる君の如くにして入り給ひて、その語られつる夢をつゆも違はず語り給へ」と云へば、まき人喜びて、かの君のありつるやうに入り来て夢語りをしたれば、女、同じやうに云ふ。
まき人、いと嬉しく思ひて、衣を脱ぎて取らせて去りぬ。
 
お坊ちゃんと同じように部屋に入ってきて、お坊ちゃんの語った夢の内容を、一語一句たがわずに語れ。
女も、まったく同じように返事をします。
お代として、これも同じように着ている服を女に与えます。
 
その後、文を習ひ読みければ、ただ通りに通りて、才ある人になりぬ。
朝廷聞こし召して、試みらるるに、誠に才深くありければ、唐土
(もろこし)へ「物よくよく習へ」とて遣はして、久しく唐土にありて、さまざまの事ども習ひ伝へて帰りたりければ、御門(みかど。天皇)賢き者に思(おぼ)し召して、次第になしあげ給ひて、大臣までに成されにけり。
 
勉強すればどんどん頭に入ってくる。
秀才との評判が朝廷の聞くところとなり、遣唐使に加えられ、長く中国で研鑽。
天皇にも賢者として寵愛され、とんとん拍子に出世して、とうとう大臣になりました。
(実際には、最高権力の間の政争にうまく立ち回ったりしつつ、好運にも恵まれて上りつめたよう)
 
されば夢取る事は、実にかしこき事なり。
かの、夢とられたりし備中守の子は、司もなき者にて止みにけり。夢を取られざらましかば、大臣までもなりなまし。
されば、夢を人に聞かすまじきなりと云ひ伝へけり。
 
夢取り──すごい効果があるんですね。
夢を取られたお坊ちゃんは、これという役職もないまま終わってしまいました。
ちょっと可哀想な気もするけど、ま、いいですかね。
お坊ちゃんの心配なんか、する必要もなし(^^;)
 
最後に、「~ましかば~まし」(もし~だったら、~だっただろうに)という、受験古文必修の「反実仮想」の語法が出てきます。
 
そして結論。
「いい夢は人に聞かせるな」。