雉を狩る……今昔の夢 4
 
                                                                     ◇まゆつば国語教室 46
 
 
今昔物語集に戻ります。
「本朝仏法部」に分類される諸巻は、仏を信じたお陰で御利益があったとか、法華経を唱えたから成仏できたとかいう話がほとんどで、ワンパターンなんですが、中にはちょっと珍しいものもあります。
夢に関する話は意外に少ないんですが、今回はそのなかで、描写がホラー映画のようにリアルなものをご紹介。
(長いので適当に抄出です)

巻19第8話「西の京の鷹を仕ふ者、夢を見て出家する話」
 
西の京に鷹狩りを仕事にする男がいました。
鷹を七、八羽、犬を十数匹飼い、毎にち野山で雉を追って暮らしていました。
老境に至り、病を得て眠れぬ夜を過ごした夜明け頃、ようやくウトウトして夢を見ます。
 
嵯峨野の墓地の中にある小屋。
男は、妻と子供たちといっしょに、その小屋で暮らしています。
寒い冬が終わり、うららかな春が訪れます。
男は家族を連れて若菜摘みに出かけます。
 
暖かに良きままに、散り散りに、或は若菜を摘み、或は遊びなむどして、おのおの墓屋の辺りをも遠く離れぬ(離れた)。子どもも妻も、かく散り散りに遊び去りぬ。
しかる間、太秦
(うずまさ。京都北西部)の北の杜のほど、多くの人の音あり。
鈴の音、大きなる小さきの、数鳴き合ひたり。
 
楽しく遊んでいると、森の方からたくさんの人の声が聞こえてきます。
鈴の音が大きく、小さく鳴っています。
高いところに登って見ると、狩衣を着た男たちが、鬼のような鷹や、獅子のような犬を引き連れてやってきます。
鷹と犬には鈴がつけられていて、激しい音を空に響かせています。
 
これを見るに、目もくれ(目の前が暗くなり)心も迷ひければ、
「さは、わが妻子どもを疾
(と)く呼び取りて隠れむ」
と思ひて見れば、所々に遊び散りて、呼び取るべきもなし。
しかれば、西東も思へずして、深き薮のあるに、隠れ入りて見れば、わが「いみじくかなし」と思ふ太郎子も薮に隠れぬ。
 
妻子を早く呼んで隠れようと思うけれど、みんなあちこちに散って遊んでいて、呼び集められない。
とりあえずヤブに隠れると、近くのヤブに長男が隠れているのが見えた。
 
「かなし」は、「愛し」とよく漢字が当てられる言葉で、「いとおしい」という意味。
現代語にすると「悲しい」「いとおしい」と逆の意味に分かれるように見えますが、要は、胸がせつなくキュウンとなる感じ。悲しいときも、いとおしいときも、キュウンとなりますよね。
 
しかる間(そうするうちに)、狗飼(いぬかい。犬を飼って猟をする人)、鷹飼(同じく)、みな野にうち散りて、所々に有りて、狗飼は杖を以ちて薮を打ち、多くの狗どもを以ってかがす(臭いをかがせる)
「あないみじの態や
(ああ恐ろしいことだ)。これはいかがすべき」と思ひゐたる。
 
「いみじ」というのは、ごぞんじ、程度が著しいことをいう語で、「すごくいい」「すごく悪い」「立派だ」「貧乏だ」とそのつど内容を考えないといけない。「忌む」から出た言葉で、神とか死とか「おそろしくて避けたくなる気もち」が本来の意味です。
現代語の「いまいましい」も同じですね。
 
古文には、「ゆゆし」など、「程度が著しい」ことを表す語がほかにもたくさんあります。
(「ゆゆし」も避けたくなる気もちが元。)
日本人は、「良いか悪いか」という論理的な善悪のものさしより、「近づいてもいいか、近づかない方がいいか」という生活上の距離感を大事にしてきたようです。
 
この太郎の隠れたる薮ざま(ヤブの方)に、狗飼一人寄りぬ。
狗飼、杖を以って薮を打つに、生ひ繁りたる薄
(すすき)も、皆杖に当たりて折れ臥しぬ。
狗は鈴を鳴らして、鼻を土に付けてかがひつつ寄る。
「今は限り
(もうおしまいだ)」と見つるほどに、太郎子、堪へずして、空に飛び上がりたり。
 
犬に迫られて、長男は耐えきれず、空へ飛び上がりました。
夢の中で、いつのまにか長男は雉になったんですね。
 
その時に、狗飼、音(ね)を挙げて叫ぶ。
少し去
(の)きて立てる鷹飼、鷹を放ちて打ち合はせつ。
太郎子は上ざまに高く飛びて行く。
鷹は下より羽を□□の責めばかりの□□。
 
鷹も放たれました。
いいところで脱文、判読できない箇所があります(;´Д`)
 
しかる間、太郎子、飛び煩ひて下るほどに、鷹、下より飛び合ひて、腹と頭とを取りて、転(まろび)て落ちぬ。
狗飼、走り寄りて、鷹をば引き放ちて、太郎子を取りて、頸骨を掻□□て押し折りつ。
その間、太郎子、わりなき音を出
(い)だすを聞くに、更に生きたるべくも思えず。
刀を以って、肝心を割くが如し。
 
長男の雉が飛びわずらって降下したところを、鷹が下から攻め上がって、腹と頭をつかまえる。
二羽は落下。
犬が走り寄ってきて、鷹から長男を奪い、首の骨をへし折った((゚m゚;)

長男は断末魔の悲痛な声をあげる。
「わりなき音を出だす」って、リアル……。
「わりなし」というのは、「ことわり(道理)がない」=理不尽な、わけが分からない。
それを聞く男の心は、まさに刀で内臓を切られるよう。
 
このあと、次男と三男の遭難が描かれます。
次男も首の骨を折られ、三男は、
 
三郎子、堪へずして立ち上れば、狗飼、杖を以て三郎子が頭を打ちて、打ち落としつ。
 
頭を打ち落とされた……。
妻は北の山の方へ逃げます。
鷹飼は鷹を放ち、馬を走らせて追う。
藪に隠れた妻のもとに犬が次々と押し寄せ、四方から挟む……。
妻もやられます。

そして、男もはげしい逃走と追跡のあと、鈴の音に囲まれて追いつめられます。
 
悲しく、せむ方なく思(おぼ)ゆるままに、下は沢だちたる薮に、頭ばかりを隠して、尻を逆さにして臥せり。
狗、鈴を鳴らして寄り来るに、「今は限り」と思ふほどに、夢覚めぬ。
 
ようやく夢が覚めました。
長かった……。

男は、長年、鷹を駆り立てて雉を殺してきたことを反省します。
あの雉たちは、今夜、夢の中でおれが思ったような悲しみや恐怖に身を切りきざんでいたのだろう。
そして、夜が明けるのを待ちかねるように鷹屋に行き、足のひもを切って放します。
犬も放し、狩の道具類をすべて燃やします。
妻子に夢のことを話し、そのまま一人で山寺に入って、お坊さんになりました。