もう一つの遠野物語 (上)
 
                                                                   ◇まゆつば国語教室 47
 
 
そらまめさんのブログを読んでいて、ふと、柳田国男の『遠野物語』を思い出しました。
明治の文語文なので、古文学習への“助走”として、中学2年の夏期講習によく使っていました。
 
『遠野物語』といえば、座敷わらしや河童をはじめ、山人、マヨイガ、オシラサマなど、人と異界をつなぐ民話の宝庫として有名です。
日本で民俗学が生まれる元になった作品ともいわれます。
 
そういう要素については語り尽くされていて、それが『遠野物語』の一番の魅力であることは間違いないんですが、実はそればかりではない、もう一つの魅力もあります。
 
ということで、今回は“民話系”ではない話を二つほど取り上げてみます。
まずは、『遠野物語』の中でぼくが一番好きな、切なく美しいファンタジー?です。
名文なので、原文通りにのせます。
ぜひ読み味わってください。
 
東北をおそった津波の話です。

土淵(つちぶち)村の助役北川清と云ふ人の家は字(あざ)火石に在り。
代々の山臥
(やまぶし)にて祖父は正福院(しようふくいん)と云ひ、学者にて著作多く、村のために尽くしたる人なり。
清の弟に福二と云ふ人は海岸の田ノ浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯
(おほつなみ)に遭ひて妻と子を失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。
 
北川福二という男、海岸沿いの家へ婿に入ったけれど、大津波に襲われて妻と子を亡くしてしまいます。
流された屋敷の跡地に小屋を建てて、生き残った子供ふたりと暮らして1年後……。
 
夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の打つ渚なり。
霧の布
(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正(まさ)しく亡くなりし我(わが)妻なり。
 
古文に比べればずっと易しい文章なので、よけいな現代語訳はつけません。
便所は、住まいから遠く離れた渚に作ってあったようです。
夜霧の立ちこめる中から、男女ふたりが近づいてきます。
女はなんと、津波で亡くなった妻です。
 
思はず其(その)跡をつけて、遥遥(やうやう)と船越村のほうへ行く崎のある所まで追ひ行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑ひたり。
男はと見れば此も同じ里の者にて大海嘯の難に死せる者なり。
自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通はせたりと聞きし男なり。
 
奥さんには、福二と結婚する前、心を通わせた男がいたんですね。
そして、その男も先年の津波で死んでいた……。
妻に声をかける。
と、「振り返りてにこと笑ひたり」。
描写が簡潔でリアルです。
 
今は此人(このひと)と夫婦になりてありと云ふに、子供は可愛くは無いのかと云へば、女は少しく顔の色を変へて泣きたり。
死したる人と物言ふとは思はれずして、悲しく情
(なさけ)なくなりたれば足元を見て在りし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰(やまかげ)を廻り見えずなりたり。
 
死んで、あの世で、もとの恋人と夫婦になっているのだと言います。
福二が子供のことを言うと、妻は泣きます。
福二もどうすればいいのかわからず、足もとを見ている間に、ふたりは足早に去っていきます。
 
追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明けまで道中に立ちて考へ、朝になりて帰りたり。
其後
(そののち)久しく煩(わずら)ひたりと云へり。
 
これが最後です。
思わず追いかけようとしたけれど、ああそうだ、ふたりはもう死んでいるんだ……。
その場で福二は朝まで立ちつくします。
その後、長く福二は病に伏せりました。
 
奥さんの家柄は書いてないけど、「屋敷」とあるから、きっと網元のお嬢さんじゃないでしょうか。
いま、ようやく一緒になれた元の恋人は、たぶん身分のない貧しい漁師……。
奥さんは、家柄の良い福二と、親にむりやり結婚させられたんだと思います。
 
でも妻は福二との結婚生活を誠実にこなし、子供たちもしっかり育てました。
そして津波で死に、元の恋人とあの世で出会って、ようやく一人の女に戻った……。
 
子供の待つ家へ帰る途中の道に立ちつくし、福二は何を考え続けたのでしょう。
福二もかわいそうだけれど、ぼくは奥さんの気もちを想像すると切なくなります。
(勝手な想像を交えて書きました。違うかも……(^^;))