もう一つの遠野物語 (下)
 
                                                                   ◇まゆつば国語教室 48
 
 
気がつくと、まゆ国、なんと48回目!
飽き性のぼくとしては驚異的な数字です(笑)
万事しんどくなっている昨今ですが、とりあえず50回の大台までは……。
 
 
今回は、リアル殺人事件です。
母殺し……。
まず前段の短い話を挙げておきます。
 
この男(=さらに前の話で不思議な体験をした男)ある奥山に入り、茸を採るとて小屋を掛け宿(とま)りてありしに、深夜に遠きところにてきゃーという女の叫び声聞え胸を轟(とどろ)かしたることあり。
里へ帰りて見れば、その同じ夜、時も同じ刻限に、自分の妹なる女その息子のために殺されてありき。
 
山中に泊まった男の耳に、遠くから聞こえてきた叫び声。
殺されたのは、男の妹でした。
さて本編。
 
この女というは母一人子一人の家なりしに、嫁と姑との仲悪(あ)しくなり、嫁はしばしば親里へ行きて帰り来ざることあり。
その日は嫁は家にありて打ち臥しておりしに、昼のころになり突然と倅
(せがれ)のいうには、ガガはとても生かしては置かれぬ、今日はきっと殺すべしとて、大(おおき)なる草苅鎌を取り出し、ごしごしと磨(と)ぎ始めたり。
 
いきなり不穏な描写 ((゚m゚;)
女は一人息子と、その嫁との三人で暮らしていた。
嫁は姑と折り合いが悪く、実家へ逃げ帰ることがあった。
この日は嫁は家にいて、具合が悪いのか、朝から伏せっていた。
昼頃になって突然、息子が「かかあは生かしておけない。今日はきっと殺す!」と草刈り鎌を取って磨き始めます。
 
嫁と姑。
きっと長い長いいさかいがあったんでしょうね。
息子は間に立って、ずっと苦しんでいたんでしょう。
わかるわかる……

そしてあるとき、ふいに切れた!
結論は、母の方を殺す。
 
そのありさまさらに戯言(たわむれごと)とも見えざれば、母はさまざまに事を分けて詫(わ)びたれども少しも聴かず。
嫁も起き出
(い)でて泣きながら諫(いさ)めたれど、露(つゆ)従う色もなく、やがて母が遁(のが)れ出でんとする様子あるを見て、前後の戸口をことごとく鎖(とざ)したり。
 
ただならぬに形相、母は謝るけれど、切れてしまった息子にはもはや聞こえない。
嫁も泣きながら夫をいさめます。
意地を張って義母といさかってきたけれど、まさか殺すなんて……
嫁の驚きとあわてぶりが目に浮かびます。
 
逃げ出そうとする母の気配に気づき、息子は家の戸を閉ざします。
 
便用に行きたしといえば、おのれみずから外より便器を持ち来たりてこれへせよという。
夕方にもなりしかば
(=なったので)母もついにあきらめて、大なる囲炉裡の側(かたわら)にうずくまりただ泣きていたり。
 
重たい時間が過ぎていきます。
息子もなかなか実行に移せない。
あきらめ、うずくまって泣く母……。

「便用」のやり取りがリアルですね。(小説書きには大事なところ!)
 
倅はよくよく磨(と)ぎたる大鎌を手にして近より来たり、まず左の肩口を目がけて薙(な)ぐようにすれば、鎌の刃先(はさき)炉の上の火棚(ひだな)に引っかかりてよく斬れず。
その時に母は深山の奥にて弥之助が聞きつけしようなる叫び声を立てたり。
 
前段の話の男が聞いたのは、この第一打のときの母の叫び声だったんですね。

鎌を薙ぐように打ち下ろす。
刃先が火棚にひっかかって母の体をかする──
ものすごくリアルで、うまいですね。
(遠野物語は「すぐれた文章」として三島由紀夫などが高い評価をしています)
 
二度目には右の肩より切り下げたるが、これにてもなお死絶えずしてあるところへ、里人ら驚きて馳せつけ倅を取り抑え直に警察官を呼びて渡したり。
警官がまだ棒を持ちてある時代のことなり。
母親は男が捕えられ引き立てられて行くを見て、滝のように血の流るる中より、おのれは恨も抱(いだ)かずに死ぬるなれば(=死ぬのだから)、孫四郎は宥(ゆる)したまわれという。
これを聞きて心を動かさぬ者はなかりき。
 
二度目は右肩からざっくりと……。
近所の人たちが、先ほどの声を聞きつけたんでしょう、戸を開けて中に飛びこみ、息子を取り押さえます。
滝のような血を流しながら、母は最後の力をふりしぼって言います。
「恨みはない。息子を許してやってくれ」──。

胸に迫りますね。
 
孫四郎は途中にてもその鎌を振り上げて巡査を追い廻しなどせしが、狂人なりとて放免せられて家に帰り、今も生きて里にあり。
 
息子は壊れてしまったんですね。
「狂人は罰しない」という考え方や仕組みが、明治にもあったことがわかります。
今も生きている──というのだから、まさにリアルタイムの事件です。