「はねるのトビラ」と言うテレビ番組の

「ほぼ100円ショップ」と言うコーナーが大好きです。


場所は「ほぼ100円ショップ」の店内。

テーブルに置かれた20個ほどの品物はどれも100円・・・

ではなくて、中に飛びっ切り高価なものが混じっています。

出演者はひとりづつレジに好きなものを持って行くんですが

問題はそれを買い取らなければならないこと。

100円ならいいですよ、100円なら。

100円と思って買った品物が30,000円だったらどうです?


以前、西川きよし・ヘレン夫妻がゲストのとき

めがねフレームを手に取って

「これはプラスチックの安モンやで~」

とレジに持ってったところ

「希少価値のべっこう製の手作り品です!」

て言われて100万円払わされてはりました。


昨日も中尾彬・池波志乃夫妻がゲストで

しょーもないキーホルダーに約13万円の値段が付いてました。

「なにそれ!」って感じです。


アンティークもんや景品、付録は要注意。

変な付加価値が付いてとんでもない値段になります。


そこでドラドラの塚地がレジに持ってった「ぐい呑み」。

画面で見る限りは

「どー考えても100円ちゃうん?」

「それよりあのグラスの方が怪しいよね~」

結果・・・


「35万円です」


「なにを~!!」


陶芸作家のナントカさんが作った手捻りの名作だそうです。


いや~わかりませんわ。

シチュエーションによるとも思いますが

もし近所の居酒屋でそんなぐい呑みで注がれても

知らんとぞんざいに扱ってしまうと思います。

気にしないもんにとって価値なんて解りません。


じゃー価値ってなんでしょう?


ピカソは大好きですが、さすがに5億円出して家に飾ることはできません。

それなら5千円で芸大生の作品買って飾ります。

いや、ぼくなら自分で描きますよ!

(これでも中学校からずっと美術部ですから。)

その時点においてはピカソの作品は投機的な意味合いしか持ちません。

心を打つかどうかが問題ではなく

商業的価値があるかどうかが問題です。


ほんまにいい歌を歌ってても

CDが売れなければ自己満足でしかないと評価されます。

売れればその歌は名曲として語り継がれます。


芸術的なものの価値なんて解りません。

みんなが「いい」って言うから「いいのかな~」って思う程度です。

でも私の本当に好きなものは常にマイノリティーだったりします(^^)。


でも建築は差が出ます。

それは「見て」楽しむ以前に「使う」ことが前提だからです。

そのデザイン性の原点は「機能美」であると思います。

デザインのひとつひとつに意味が在り

奇をてらっても簡単に打ち負かされる古の技術が揺ぎ無く立塞がるのです。

逆にそれを打ち破るデザインが表れたとき

それはひとつの文化となります。

コンクリート打放しの建物がそのひとつだ思います。


私たちが造る家は果たしてどんなカテゴリーに分けられるのでしょう?

もちろん芸術作品とは思っていません。

建築作品?いや「作品」というのはおこがましい。

だって「家造り」はお客さんとの共同作業ですから。


よろこばれるものを建てたい、それだけです。