3月16日(土)の話です。
その日は保育園の遠足で、大森海岸にあるしながわ水族館へ。
無事遠足が終了して先生たちも解散後、私が急ぎ足で向かったのはここ。
ずーっと行ってみたかったんだけど、大森までなかなか行けなくて。
交通費も園から出るし(笑)、この機を逃す手はない。
あった!
インドをテーマにした素敵な絵画がたくさん飾ってあったよ。
大好きな南インドの軽食
ワダも食べたいし、イドゥリも食べたいしって迷っていたら、
奥さんが「一つずつにもできますよ」って言ってくれたから、そうしてもらった!
米粉と豆粉の蒸しパンイドゥリ(左)と、豆粉のワダ。
このワダがもうさいっこうだった今まで西荻窪の『とら屋食堂』のワダが一番だったけど、超えちゃったかも。
ジャガイモのココナッツ煮(左)は、ジンジャーが効いていてとっても美味しい。右はビーツのトーレン(蒸し焼き)。
健康的~。
サンバル、ラッサムも全部美味しい!
食後にはチャイをいただいた。
オーナーシェフの沼尻さんは、昔商社勤務をしていて1980~82年まで南インドのコーチンに滞在していたんだって。
油っこく肉も多い北インド料理と違った、素朴な南インドの料理の美味しさに衝撃を受けた沼尻さんは、帰国後研究を重ねて、
2000年からはミールスなどの南インド料理を出す食事会を全国で開催するようになって、2008年にこのお店を作ったそう。
沼尻さんはお店の角の席にドーンと座っていて、ちょっと近寄りにくい雰囲気があったけど、
奥さんはとっても柔らかくて話しやすい方だった。
奥さんに「ほんっとうに美味しいです!ずっと来たかったんです。」と言うと、
奥さんは沼尻さんに「すごく美味しいそうですよ。」
沼尻さんはあーそう、って感じで「うちでは普通だけどね。」だって
同じくケララ料理を提供する『とら屋食堂』の奥さんも、とってもフレンドリー。
前回『とら屋食堂』に行った時に、奥さんから、
「初めてインドに行った時は、ケララの風のご夫妻と一緒に行った。」って言う話を聞いていたから、
そんな話をしたり、私も数か月前にケララに行きましたって話をしたり。
ここは近所にあったら頻繁に通ってしまうな〜。
せっかく大森に来たんだから、この周辺の見どころを回ってみようかな。
駅の向かいにこんな急な古い階段の神社がある。上ってみようっと。
天祖神社って言う名前みたい。創設念は不明。
見晴らしの良い喫煙コーナー。
グルッと一周して、またこの階段を降りましょう。
他に面白そうなところは・・・と調べてみると、『大森貝塚遺跡庭園』があった。
大森貝塚って、歴史で習ったよね。
一見普通の公園だけど、
縄文時代についての詳しい説明が書かれたパネルがあちこちにある。
正直私はそーんなに興味があるわけではないんだけど、
20年以上発掘の仕事に携わっていた考古学好きの母のために、取り敢えず全部写真に撮っておいた。
アメブロ読者さんの中にも、興味がある方はいるかな?
中心にある縄文の広場。
大森貝塚を発見したモース博士の銅像。
モース博士は、アメリカ人の動物学者で貝の研究をしていた。
1877年(明治10)に腕足類の研究のため来日し、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝層を発見したそう。
1877年9月から発掘が開始され、この発掘は日本初の学術的発掘だったため、
大森貝塚は『日本考古学発祥の地』と言われているんだって。
その後、1984年と1933年に発掘調査が行われ、住居址や土器・装身具・魚や動物の骨などが大量に見つかったそう。
広場では30分おきに霧が噴射される。
なかなか落ち着く空間だ。
この貝層は造りものだって。
それらしい雰囲気で造られていて面白い。
ここから外にでてみよう。
外にでてきたところには、
貝塚展示ブースがあった。
貝塚は昔の人の『ゴミ捨て場』と習ったと思うけど、
近年発掘研究が進むにつれて、壊れていない土器や装身具、人や動物の骨なども発掘されていることから、
現在は『スピリチュアルな場所』だったのかもしれないと考えられているそう。
実物の貝層を利用して、発見当初の貝塚を復元したもの。
へぇ〜これが実物の貝塚なのね。
この穴は、発掘調査をした時に実際に貝塚が発見された地点を示した場所。
庭園内(でもすごーい端っこ)にある、大森貝塚の石碑。
なかなか雰囲気の面白い公園だね。
あの古そうな建物は何だろう?って近づいてみると、
トイレでした!トイレまで縄文風。
さて、大森駅方面に戻ろうかな。
あれ?歩道にいきなりこんなのが出てきたよ。
博物館でもあるのかな???
階段には、世界中の「もしもし」の言い方が書いてある。
電話だ。ここはNTTデータビルだって。
土器のタイルを辿っていくと、
あれ?こっちにも『史跡大森貝塚』って書いてあるよ?行ってみよう。
巨大なビルの間のひっそりした階段を降りていくと、
もう一つ大森貝塚の石碑があった。
でもよく見ると、貝塚ではなくて貝墟って書いてある。
じゃあ、さっきのは??何で2つもあるのかな?と、不思議に思って後で調べてみたら、
モースが貝塚の遺跡の発掘場所をちゃんと記録しておかなかったため、場所が曖昧になってしまったんだって
多分この辺り、と推測されたのが大田区と品川区の境界線上で、
1929年には品川区側(大森貝塚遺跡庭園)に「大森貝塚」の碑が建ち、
大森区民はこれに負けじと1930年に「大森貝墟」という碑を建てたらしい。
1984年に改めて発掘調査が行われ、大森貝塚は品川側だとわかって決着がついたんだって。へー。
でも、大田区側のもまだ残ってるのね
大森駅お散歩終了〜!
にほんブログ村のランキングにポチッとお願いします
いつもありがとうございます!!