「先日話した通り、今日の撮影から参加することになった杉山悟君です。『城戸修平』を演じていただきます。」
監督が追加メンバーを紹介すると、拍手が起こる。

(俺より2歳年下か。見た目だけだと最上さんと同じくらいか…、少年のような感じだな…。やる気がありそうだし、また楽しく仕事ができそうだ。)
杉山君が挨拶をしている姿をぼんやりと眺める。

杉山君の紹介と、監督から今日の予定の伝達が終わった。
撮影に向けてバラバラとスタッフが散る中、最上さんに話しかけようと左隣を見下ろす。

そこで左下にあったのは、意外な光景だった。最上さんがそわそわと落ち着きなく杉山君を見つめている。最上さんに声をかけるのを俺がためらっているうちに、最上さんは杉山君にスススッと近づくと、遠慮気味に声をかけた。

「あの、お久しぶりです。もしかしてなのですが、『さと君』…ですよね?」

「え?あ、すみません、どなたですか?以前にお会いしましたっけ?」

戸惑っている杉山君に最上さんはさらに近づく。

「あ、わからない、ですよね。えと、最上です。最上キョーコ。ハンバーガー屋のバイト仲間の。髪の毛黒くて後ろに一つに束ねてた…。」

杉山君の目が驚きに見開かれた。
「う、うわあ!最上さん!?マジで!?え〰うわ〰!わっかんなかったよ〰!見た目ずいぶん変わったね〰!もう、ほとんど声でわかったようなものだよ〰。」

杉山君は最上さんの手を取って、ぶんぶん振り回し、屈託なく笑ってみせた。最上さんも嬉しそうだ。
「最上さんてばいきなりバイト辞めちゃうんだもん。どうしたのかなって思ってたんだよ。元気してた?ちゃんとごはん食べてる?」
杉山君は最上さんの顔を心配そうにのぞきこむ。

「ふふふ。さと君てば相変わらず。ありがと。ちゃんと元気にしてるよ。ちょっといろいろあって。ごめんなさい。急にバイト辞めちゃって。へへへ。」

「そっかあ〰よかったあ。俺、最上さんのことがずっと忘れられなくて。ん、でも元気そうでほんとよかったよかった。」
杉山君は本当に嬉しそうに、最上さんの頭を優しくぽんぽん撫でている。

俺は驚きに固まって、成り行きをただ呆然と見つめていた。

…のだが。いつまで手を摑んでるんだ?頭の上にのせた手も、そろそろ離してもいいんじゃないのか?俺の思考も動きを取り戻しはじめ、目の前の状況に突っ込みを入れずにいられなくなってきた。

…腹の奥から、不快な感情が吹き出してくる。

彼女を「最上さん」と本名で呼ぶ人は限られていたのに。そりゃ俺だって最終的には「キョーコ」と呼びたい。それでも、名字でも本名というところに意味があったのに。
そして何より。最上さんが杉山君に向けている笑顔は、「キョーコちゃん」の笑顔だ。最上さんがあの幼馴染みのせいで心を歪ませてしまう前の、あの夏に出会った、純粋無垢な「キョーコちゃん」の笑顔だ。
そんな特別な笑顔をその男にも向けるのか…。自分の感情が、隠してあるはずのもう一人の自分と同調して、どす黒く染まっていく。
『早く離れろ』
そう思った時。そんな俺を「敦賀蓮」に引き戻してくれたのは、他でもない最上さんと、こんな俺の作られた笑顔を守ろうとしてくれるマネージャーの真っ青に強張った顔だった。
最上さんに至っては、完全に怯えきっている。
(しまった、またやってしまった。)
気持ちを落ち着けようと視線を他所へやる。ふと、北園さんがものすごい険しい顔で最上さんと杉山君を見つめているのに気付いた。
(北園さん、どうしたのだろう。)
運良く、北園さんの雰囲気の変化で気がそがれて、俺はクールダウンできた。

そのあと、最上さんと杉山君の関係、そして北園さんと杉山君の関係について聞かされた。
その頃には北園さんの様子は元通りに戻っていて、先程の険しい表情は気のせいだったのかなと軽く考えていた。


それからの俺の牽制行為はさらに露骨になった。気持ちの余裕の無さが自然と表に現れてしまうのに抗うことができなかったのだ。

ただ、杉山君は俺のあからさまな牽制をそう気にした様子もなかった。それは好意的に捉えれば納得の状態で、役柄上絡みが多いうえに、芸歴も年齢も近い二人。お互いに料理をすること、特に和食好きらしく、白だしはどこのメーカーがいいだの、魚はどこのスーパーが新鮮でおいしいだのと、話が合っていた。


「…なあ、蓮。キョーコちゃんと杉山君て仲良しだけど、会話の内容からすると、女友達とかただの芝居仲間って感じだよな。杉山君は馬の骨なんかにはならないとお兄さんの勘が言っている。
ね、だから蓮君。春の日だまりのような穏やかな笑顔を絶やしてはいけないよ。君は皆々様に見られているんだから。そこんとこちゃんとわかってるよね…?」
焦る気持ちが表情に出でしまい、そんなふうに優秀なマネージャーに指摘されることもあった。

それでも頭の中の冷静な部分では、彼女が友達と楽しい時間を過ごすのを、邪魔してはいけないとも思っていた。





「最上さんは、杉山君ととても仲が良いね。」
俺のマンションで、最上さんの作ってくれた晩御飯を二人で食べている時。俺は頭の中で何度も推敲した台本通りに演技を始めた。
どうしても、最上さんと杉山君の今の関係を確認したかった。仕事中も気になって気になってどうしようもなかったから。

最上さんをおびえさせないように、さりげなく、さりげなく。

「はい!私の暗黒時代に、数少ないまともな人間関係を築けた人なので。」
間に少しだけ般若顔を挟みながらも、ニコニコと答えてくれる。
「結構話が合ってるみたいでいつも盛り上がってるよね…。特に料理のことで。二人で一緒に食材の買い出ししたり、料理したりするの?」
さりげなく。さりげなく。

「え、いえいえ。会話は楽しいですけど、プライベートでわざわざ会う程では…。携帯の番号も知らないですし。だるまやに他人を連れ込んで料理するとか現実的に無理ですし。さと…杉山君のお家に行くっていうのも…ま、それほど仲いいわけじゃないですしね。」

「ふ〰ん。じゃあ、あくまで現場でおしゃべりする程度の関係なんだね。」
さりげなく。さりげなく。でも、声が少しウキウキしてしまうのは仕方のないことだろう。だって、最上さんは俺のマンションにはいつも普通に来てくれるんだから。

「はい。あ、もしかして現場で私語がうるさかったですか?ごめんなさい。私、お仕事のこと、すごく大事に思ってます。私語が目障りなら、やめ」
「いやいや、出演者同士でコミュニケーションをとっておいた方が、現場の雰囲気もよくなるしね。度をわきまえた『おしゃべり』ならかまわないんじゃないかな。俺だってしてるでしょ、『おしゃべり』。
最上さんが、彼と友達として仲良くしてるなら、それもヨシだし。素敵な人間関係が築けてよかったじゃないか。俺も嬉しいよ。」
さりげなく。さりげなく。
友達の部分で少し語気が強くなったのはご愛嬌だ。

「そうですか。敦賀さんにそう言っていただけるとすごく嬉しいです。敦賀さんにだけは私の仕事への熱意をちゃんとわかっててほしいんです。敦賀さんが私のことわかってさえくれれば、どれだけだって頑張れちゃいますから!」
と、またほにゃりと笑う最上さん。

…よかった。本当によかった。テーブルの上に最上さんの作ってくれた大事な食事が乗っていて。何もなかったら、二人の間にある邪魔なテーブルを放り投げて、最上さんに飛びかかって抱き締めているところだった。

ありがとう、心から礼を言おう、最上さんの作った食事達。俺の役立たずな理性なんかとは大違いだ。

俺は顔に笑顔を貼り付けたまま、掌にかいた冷汗をこっそりと拭った。