「ところで最上さん、大丈夫?…じゃあないよね。」

振り向いた蓮が、キョーコに気遣かわしげに声をかける。

「た、たぶん、だいじょ…ぶ、で」

キョーコは俯いて縮こまりながら答えるが、顔の筋肉もかじかんできてうまく話せない。

なんで少しくらい頼ってくれないんだ…と蓮の小さくつぶやいた声が聞こえたあと、「バッチンバッチン」とスナップボタンを外す音、それから「ジジーッ」とジッパーを下ろす音がした。

「最上さん、ここ、おいで?」

ふへ?とキョーコが蓮をみやると、蓮がコートの前を開けて、優しい優しい笑顔を向けている。

「裏起毛だしあったかいよ?ほら、早く。最上さん、どんどん冷えちゃう。」

色々と思うところがありすぎて、キョーコが固まって蓮の腕の中を凝視していると、

「もう、ほんとに凍えちゃうって。」
と、近づいてきた蓮に優しく手を引かれて、蓮の胸元へポスンッと倒れこむ。

「つ、つるがしゃんっっ」
蓮は上ずったキョーコの声をものともせず、
「ああ、こんなに冷たくなって。寒かったね。あっためてあげるからね。」
と、キョーコを自身のコートの中にしっかりと包み込む。


すっぽりとあたたかい蓮のコートの中にくるまれて、キョーコはどれだけ自分が冷えきっていたのか気付いた。

そして、キョーコの鼻腔を満たすのは、大好きな大好きな落ち着く香り。敦賀セラピーだ。キョーコの胸は、きゅうぅっと締め付けられる。

キョーコはこの2ヶ月、すごく寂しかったのだ。蓮からの告白をなかったことにしながらも、キョーコの蓮のことを恋しいと思う気持ちは紛れもない事実だ。会いたくてたまらなかった。声を聞きたくてたまらなかった。

その蓮に会えたどころか、今まさに抱き締めてもらっている。涙が出るほど嬉しくてしかたがないのは、もうキョーコ自身も認めざるをえない。


自分の胸元に顔を埋めて抵抗もしないキョーコの様子をうかがった蓮は、さらにアクションを起こした。自分の体温を分け与えるように覆い被さって、隙間もないようにキョーコに密着する。

「本当はもっと早くこうしてあげたかったんだけど、ADさんの目もあったし。どう?少しはあったかくなってきた?」

キョーコはコクンと小さく頷く。


だが、蓮にここまでしてもらっているというのに、キョーコは単純に嬉しいという気持ちだけでは済まされない。

蓮が渡米したあと、蓮の告白はなかったことにしながらも、蓮を恋しく想う偽りないもう一人の自分は、キョーコの中で叫ぶのだ。
「あんな告白をしておきながら2ヶ月も放っておくなんてひどい」
とか、
「時々日本に帰ってきてたのに自分に会いにこないなんて、やっぱり心変わりしたのね。告白なんてどうせ気の迷いだったんでしょ!はじめからわかっていたのよ、ふん!」とか。

そんなふてくされた気持ちが、「話しかけないでオーラ」となって現れていたのだ。

さらにはこのドラマのこと。

キョーコは「妹の復讐のにために殺人を次々と犯していく犯人(主役)の、元恋人の妹役」だ。そしてその犯人が蓮。ベストセラーのサスペンス小説をドラマ化したもので、TWSテレビ局創設40周年のスペシャルドラマだった。

劇中では、殺人犯でありながらも、元は有能な山岳警備隊のホープで、実直な人柄。私利私欲のために妹を利用して自殺に追い込んだ男女5人を次々と手にかけて、最後は自らも焼身自殺してしまうというかなりヘビーな内容だ。

キョーコの役は、元恋人の妹というだけでなく、犯人の妹の友人でもあったため、これまたヘビーな役どころだった。そんな難しい役に、監督から直接抜擢されたことが嬉しく、渡米前の蓮に報告していたのだ。
なのにその時に、既に蓮自身もほぼ役が決まっていたくせに、蓮は何も言ってくれなかった。

キョーコが蓮と共演することを知ったのは、数日前の顔合わせの時だった。
カインと雪花の時は誰よりもそばにいて秘密を共有していただけに、その他大勢扱いされたようで、キョーコの疎外感は強かった。

蓮がキョーコにその事実を言えなかったのは、ハリウッドでの撮影期間が正確に読めなかったからだ。
とてもこだわりが強い監督で、仕上がりが気に入らないと、予定が大幅にずれてでもリテイクを繰り返すことで有名だった。
そのため、ドラマの監督からは強いラブコールを受けていたものの、蓮はぎりぎりまで、それこそ帰国寸前までOKサインが出せなかったのだ。

キョーコは、蓮からはその釈明は受けていない。否、「させていない」。キョーコが、蓮に話しかける隙を与えていないからだ。
その代わりに、二人の雰囲気を察したらしい社から、ことの顛末を聞かされた。
「蓮は、どうしてもキョーコちゃんと共演したいって、頑張ったんだよ。それは、もうっっ!!ってくらい!そんな蓮の男ゴコロ、わかってやってくれるとお兄ちゃん、嬉しいな。」と援護射撃のセリフまでついていた。

頭では理屈を理解しているものの、どうしてもモヤモヤする気持ちが押さえられないキョーコは、蓮の胸を両手で軽く押し退けた。

「これでは敦賀さんの体が冷めてしまいます。それに息が…」

そんなキョーコを、蓮は
「ああ、ごめん。苦しかった?じゃあこうしようか。」
と、言葉通りに解釈した。そしてキョーコの体をクルリと180度回転させる。

よいしょ、とジッパーもあげた。キョーコの顔はチョコンと出して、苦しくないように。さらには蓮はコートの袖から腕を抜いて、コートの中で直接キョーコを抱き締めた。

(ぐ、ぐにゅにゅ…。な、なんなのこの状態は!恥ずかしい恥ずかしい恥ずかし過ぎる〰!叫びたい!悶えたい!走り出したい〰〰!

い、いやいや!お、落ち着け、私!敦賀さんは優しいから誰にでも同じことするの!私が特別なわけじゃないわ!

ああ〰でもやっぱりダメ〰!いたたまれない〰!

ヨシ!こうなったら得意の妄想で乗り切るわよ!そう、敦賀さんはそもそも私にとって役者としての天上人!敦賀さんは人間ではない!人間ではない!敦賀さんは私のコートの演技中、私のコートの演技中、私の)

「ほぅぐっ」

思わず変な声をあげたキョーコに、蓮はクスリと笑う。
「変な声出しちゃって、最上さんどうしたの?」

(ど、どうしたもこうしたも、な、なんか一般的に指と呼ばれている体の一部が、これまた胸と呼ばれている体の一部の下側にほんわりと乗っかっているのですけど!)

「ひ、ひえ、な、なにも、ぐみゅっ!」

(こ、こ、こ、こ、んどは一般的に手と呼ばれている体の一部が、これまた胸と呼ばれている体の一部を完全に覆っているのですけどっ。
ど、どうしよ。貧相過ぎて、私の胸を触ってるの敦賀さん気付いてないのかな…)

「あれ、最上さん、すごーく真っ赤になってきちゃったけど、大丈夫?心なしか体温上がってない?風邪?熱出てきた?」

クスクスと笑った蓮から、ポンポンと質問が飛んでくる。

(手が、手が!!うご、うご、動い)

「うん、俺の手が最上さんの胸を触ってるね?揉んでるともいうかな?ふわふわしてて気持ちいいよ。すごく癒される。ありがとう。」

「はぇっっ!?ど、どういたしまして!?こ、こちらこそ揉みがいもないシロモノでむしろ大変失礼致しますっっ!?」

蓮は一瞬目を見開いて無表情になったあと、「どうしてくれようか」などとブツブツとつぶやいて、胸から手を外してキョーコの体をぎゅうぅっと抱き締めた。

「なんで怒らないの?」

すねたようなふてくされたような声が降ってきて、ただでさえ目を回していたキョーコは、さらに混乱した。