ケン太「おお、一年ぶりの更新だね…って、あれ?」
諏訪「どうした?」
ケン太「…タイトル変わってるけど?」
諏訪「ん~、なんの話だ?」
ケン太「げっ、まさか『織田家最大の謎を追え』って、消したの?」
神崎「うぅ…おかげで家賃が払えなくて、私アパートを追い出されたの」
岩田「心配するな。 しばらくこのマンションの一室をタダで貸してやるぞい」
神崎「本当ですか!」
岩田「その替わり、ワシの2号さんにn…バキッ…グブッ!」
神崎「ぶつわよ!」
ケン太「もうぶってるじゃん。 ところで『2号さん』って何?」
岩田「お、おい…諏訪君、依頼の電話が来ておるぞ」
ケン太「とぼけないでよ。 『2号さん』って何」
諏訪「神崎くん、取ってくれたまえ」
ケン太「『2号さん』ってなぁに!」
犬千代「ニャー」
…
諏訪「神崎くん、今回の依頼人は誰かな?」
神崎「はい、朝倉義景さんです」
ケン太「また、微妙な所が来たね」
諏訪「…まぁ、否定はしない。 では繋いでくれたまえ」
神崎「はい」
………
朝倉義景「………ン? もう話し始めて良いのかの?」
諏訪「お初に御意を得ます。 わたくし諏訪探偵事務所所長の、諏訪欧一郎と申します」
義景「ホホ、直答を許す。 余が朝倉左衛門督である」
諏訪「はは~っ」
ケン太「…(あれ? 先生が普通に話してるよ)」
神崎「…(一見さんには、いきなり冗談は言えないでしょ)」
ケン太「…(あ、そうか)」
諏訪「…して、此度は…いかなる御用向きで?」
義景「うむ……実は先日、金吾のじいが亡くなっての…」
諏訪「…え~………一応、確認しておきますが… 『金吾のじい』とは、(月光院殿照葉宗滴大居士)の事ですな?」
義景「そう、宗滴の事じゃ。 …よく戒名なんぞ覚えられるのぉ」
諏訪「…その朝倉宗滴殿が亡くなられて?」
義景「おぅ。 んで形見分けの為にじいの館に行った際、このような家系図を見つけたんじゃ」
【朝倉家系図】
教景━教景━教景┳教景
※※※※※※※※┗教景━景紀
諏訪「…………これは…」
義景「不思儀じゃろ? 不思儀じゃろ?」
諏訪「……う~む」
義景「そうなんじゃよ。 余も唸ってしもうての…」
諏訪「……」
義景「景紀は余の叔父で、宗滴の元に養子に行っておるから、その先代は宗滴だという事は判る」
諏訪「はい……」
義景「当家の系図と、あまりに続柄が異なるでの… 余はてっきり、宗滴は父の大叔父じゃと思ぅておったのじゃが……違うんかいの?」
諏訪「……つまり、今回のご依頼は」
義景「左様。 この家系図について、どういう事か調査せよ」
諏訪「かしこまりました。 つきましては、報酬の方は…」
義景「うむ。 依って件の如しじゃ」
諏訪「はは~、では…」
義景「頼んだぞよ~」
………………
諏訪「今回は、この教景だらけの家系図について、調べるという内容だ」
ケン太「本当に不思儀な家系図だね?」
神崎「通称が代々継がれるのは判りますが、諱が代々というのは…」
諏訪「そうだね。 では始めるとしよう」
……
岩田「そもそも、本当の系図はどうなっておる?」
諏訪「本当の系図…という言い方には語弊があるが、『朝倉始末記』の系図では…
教景━家景━敏景┳教景
※※※※※※※※┗教景━景紀
…となっているね」
ケン太「あれ? 結局、3人は『教景』がいるんだ?」
諏訪「ああ、この系図で言う初代と、敏景の子2人は確定している」
神崎「敏景?」
岩田「戦国朝倉家初代の英林孝景の事じゃ」
神崎「最近では、『孝景』が一般的ですよね?」
ケン太「昔の教科書は、みな『敏景』で書かれてたがのぅ…」
諏訪「お前は何歳か?」
ケン太「えっと、宗滴は景紀の義父だから…」
神崎「宗滴さんのお兄さんにも、教景はいたんですね」
諏訪「うん。 宗滴の兄の方は、宗滴が幼い頃に庶兄の景総に殺されている為…」
ケン太「ちょ! ちょっと待って…」
神崎「お兄さんに殺されたんですか?」
諏訪「うん、弟であるにも関わらず、母親の身分の為に自分より席次が上だって事でな」
ケン太「それって、織田信雄と信孝のような関係…と考えても?」
諏訪「まぁ…信雄・信孝の場合は同い年だけど、そんな感じでいいよ」
神崎「非業の死を遂げた人の諱を、その弟に名付ける…というのは、どうなんでしょう?」
岩田「羽柴秀勝の例を考えれば、良いじゃろう」
ケン太「あ、なるほど」
諏訪「由来のある諱は、先代の最期がどうであれ、名付けるのに抵抗はないんじゃないかな?」
神崎「そういうものなんですね」
…
ケン太「そもそも、なんで(教)景なの?」
諏訪「…実は、15世紀の斯波家中では二度、『教』の一字を拝領できる主筋がいた」
神崎「…と、言いますと?」
諏訪「1人は応永七年(1400)に、『義教』と改名した主君斯波義重」
神崎「織田常松が、=織田教広と目されている由縁の人ですね」
諏訪「そう。 んで、もう1人が…」
ケン太「まさか…、…将軍足利義教?」
諏訪「その通り」
神崎「…将軍から、陪臣(家臣の家臣)が一字拝領を受ける事なんかあるんですか?」
諏訪「あるよ。 実際、『諸家系譜纂』によるとだな…」
ケン太「ふんふん…」
諏訪「初代教景は永享の乱~結城合戦の活躍で、将軍義教から一字を貰って『教景』に改名した…とされている」
蒙将軍家命追討鎌倉持氏有戦功義教公賜諱教字
ケン太「へ~~」
諏訪「……が、俺はそれは嘘だと思う」
岩田「なぬ?」
諏訪「考えて欲しい。 将軍義教から一字拝領したのが嘉吉元年(1441)なんだが…」
ケン太「…何か問題が?」
諏訪「教景は康暦二年(1380)生まれの、62歳だよ?」
神崎「えっ…そんな年齢だったんですか?」
諏訪「では逆に訊こう。 教景は嘉吉元年まで、なんという諱だった?」
ケン太「え…っと、Wikiには前名は載ってないね」
諏訪「当然だ。 『朝倉家記』にも『朝倉始末記』にも載っていないのだから…」
神崎「えっと…」
岩田「初代教景が、仮に15歳で元服したとして…」
ケン太「そこから47年間名乗った諱が、一切知られていない…というのは…」
神崎「…どう、考えれば良いのでしょう?」
諏訪「この時点での朝倉家の歳を見てみれば良い」
朝倉教景=62歳
朝倉家景=40歳
朝倉孝景=14歳
ケン太「この事実が意味する所は?」
諏訪「これは、あくまで俺の仮説だがね…」
神崎「…はい」
諏訪「この時の将軍からの褒美は、まだ元服していない孫(孝景)への一字拝領だったと思うんだ」
ケン太「そういえば、孝景の初名は『教景』だとWikiに…」
諏訪「そう…孝景の初名が本当に教景なら、このタイミングでしか『教』の一字は貰えないからね」
岩田「なぜじゃ?」
諏訪「この年の6月、足利義教は嘉吉の乱で殺されているからだよ」
ケン太「あ、そうか」
神崎「すると初代教景の一字は?」
諏訪「斯波義教(義重)からの一字拝領だった、と考えられる」
岩田「そのココロは?」
諏訪「まず、主君斯波義重が「義教」に改名した時点で一字拝領を受けられれば、初代教景は21歳」
神崎「ちょっと元服には遅くありませんか?」
諏訪「元服後の一字拝領でも構わないだろ?」
ケン太「あ、そうか」
神崎「少なくとも、47年間名乗った諱が知られていないよりは…」
諏訪「そう、5~6年しか名乗っていない諱が知られていない方が、自然だからね」
ケン太「…では、家景=教景の説は?」
諏訪「それは、また次回…」
ケン太「あるの? 次回、本当にあるの??」
神崎「私…、先生を信じてますから……」
諏訪「おいおい、逃げられないような言い方するなよ」
3人「逃げるな!」
犬千代「ニャー」
~続~