ケン太「…(ねぇ先生)」
諏訪「何だい?」
ケン太「…(仮に、ここで日記やめたら、どうなるかな?)」
岩田「…(そりゃあ、ここまで読んでくれた方がモヤモヤするじゃろうな)」
ケン太「…(YOU、モヤモヤさせちゃおうYO)」
諏訪「…(お、それも一興ww)」
3人「…(ウッシッシッ)」
神崎「こら~っ!!!」
3人「………サーセンでした」
犬千代「ニャー」
…
ケン太「先生、前回…
>俺がある程度は復元できる自信があるから、次回挙げるよ
…って言ったよね」
諏訪「あぁ、言った」
ケン太「さっそく復元してよ」
諏訪「了解。 …だがその前に…」
岩田「…何か?」
諏訪「一つ聞きたい。
なぜ慈視院光玖は、朝倉系図を作ったのかな?」
ケン太「…え?」
神崎「それは…」
諏訪「京都大学蔵の壬生本『朝倉系図』に、慈視院光玖が朝倉家が代々一字を『景』にするのは、景行天皇にルーツがある…という説をあげた、とある」
ケン太「結構、無茶な論理だよね」
諏訪「そう…実際は平安期に初めて『朝倉與三大夫』を名乗った朝倉宗高や、その子で『平家物語』にも名前の見える朝倉高清に遡った時点で…」
岩田「…既に『景』を名乗っておらんの」
【朝倉系図1】
宗高(朝倉與三大夫)
┃
高清
┣━━┓
安高※信高
(八木)(朝倉)
┃
高吉
┣━━┓
高実※家高
(朝倉)(八木)
┃
高景
┃
高資
┃
広信
┃
広景
ケン太「…本当だ」
岩田「むしろ、『高』の一字が多いの」
諏訪「…って事は、
光玖が作った系図ってのは、景行天皇から越前朝倉初代の広景まで、別の名前が載ってたんじゃないかな?」
ケン太「おー、なるほど」
神崎「…つまり、現在では景行天皇系図で、広景から上の代は調べようがないと?」
諏訪「そう、そして次…系図上では4代貞景の子心月教景から、歴代当主が毎回『小太郎教景』を名乗っているよね」
【朝倉系図2】
広景
┃
高景
┃
氏景
┃
貞景
┃
教景(美作守、小太郎)
┃
教景(家景、下野守、小太郎)
┃
教景(孝景、英林、小太郎)
┣氏景(孫次郎)
┣教景(以千宗勝、小太郎)
┗教景(宗滴、小太郎)
岩田「依頼人の義景から見せられた系図じゃな」
諏訪「…なんでこんなに、『小太郎教景』がいるんだと思う?」
ケン太「えっと、『人物叢書 朝倉義景』(新人物往来社)では、『小太郎』こそ正嫡の仮名だからだと…」
神崎「ちなみにWikiの『朝倉宗滴』にも、こう書いてありますね」
仮名を父・孝景の仮名である小太郎と称していた事や、朝倉家歴代当主が名乗る「景」の字が諱の下にあること、諱そのものも曽祖父・教景、祖父・家景及び父・孝景が一時的に名乗っていた時期があったことから、嫡男として遇されていたと思われる。
しかし、文明13年(1481年)に父・孝景が死去すると、兄の氏景が家督を継いだ。これは、当時4歳に過ぎない宗滴に朝倉家を継がせることは無理があるとの判断とみられる。
(Wikipedia『朝倉宗滴』より抜粋)
諏訪「ハハハ…へそが茶を沸かすな」
岩田「なに? なんか間違っておるのか?」
諏訪「英林孝景が死んだ際、宗滴の同母兄の教景(以千宗勝、以後「宗勝教景」)はまだ生きてたじゃないか」
ケン太「あ、そっか…」
神崎「確かに…宗勝教景を差し置いて、同母弟の宗滴教景が継げる道理はないですね」
諏訪「宗勝教景は寛正三年(1462)生で、父孝景が没した時点で20歳。…5歳だった宗滴教景のように、幼いから替わりに氏景が継いだ…という理屈は通らないな」
岩田「じゃが、宗勝教景と宗滴教景の母が正室なんじゃろ?」
諏訪「確かに、彼らの母『桂室永昌大姉』は英林孝景の正室だよ」
神崎「だったら…」
諏訪「といっても、氏景の母が側室だった訳ではなく、桂室永昌大姉が孝景に嫁いだ時点ではすでに故人だったんだ」
ケン太「そうなんだ…」
諏訪「ただ氏景の母は、前々回に説明した長禄合戦で、斯波義敏側についた叔父鳥羽将景の娘だったけど…」
神崎「けど…?」
諏訪「応仁の乱の頃から、氏景は既に山名宗全や大内政弘ら諸大名から、英林孝景の後継と見なされていたし、英林孝景が氏景を嫡男にしない理由はまったくないよね」
ケン太「じゃあじゃあ質問!」
諏訪「はい、ケン太くん」
ケン太「……じゃあ、なんで氏景は『小太郎』じゃなくて『孫次郎』なの?」
諏訪「別に、『孫次郎』でいいじゃん?」
岩田「なんと! 『小太郎』が朝倉家累代の通称なのじゃろ?」
諏訪「ガンさんは『人物叢書 朝倉義景』やWikiの説を信用してるようだけど…残念ながら、それは間違っている」
ケン太「なんで言い切れるの?」
諏訪「『御的日記』という史料がある」
岩田「うん?」
諏訪「これは、室町初期の正月行事である弓での的当てを競った事を記した史料なんだが…貞治五年(1366)に『朝倉孫次郎』の名が見える」
ケン太「ほう!」
諏訪「同じ史料にその前年…『朝倉弾正忠』という人物も参加している事から、この『朝倉弾正忠』が弾正左衛門尉高景で、『朝倉孫次郎』が3代氏景である事が判明している」
神崎「…つまり、先代である3代氏景が『孫次郎』だったから、8代氏景も『孫次郎』にしたと…」
岩田「さらに、『孫次郎』も朝倉歴代当主が名乗った仮名という事じゃな?」
諏訪「その通り!」
岩田「なるほどのぅ…」
諏訪「大体、その説(小太郎教景=正嫡)で行くと、氏景の次の家督は英林の末子小太郎教景(宗滴)が跡を継ぐべき…みたいな論調になるだろ?」
ケン太「そうだね」
諏訪「当代の嫡男(貞景)がいるのに、わざわざ先代英林の末子(宗滴)に継がせようなんてしたら、お家騒動が起きるに決まってるじゃん」
神崎「…でも、教景の母が正室なんですよね?」
諏訪「そう…だからこそ英林孝景は、桂室永昌大姉との間の長男に、自分も名乗った事のある『小太郎教景』を与えた」
ケン太「じゃ、宗滴教景の方は?」
諏訪「宗滴教景の元服年は判ってないけど…ま、おそらく延徳~明応初年(1490~1494頃)だろうが、その頃は父英林はおろか兄の氏景も同母兄宗勝教景すら、この世にはなかった」
岩田「では、誰が名付けたんじゃろう?」
諏訪「たぶん、英林孝景の弟たちの誰か…慈視院光玖か、宗滴の舅の遠江守景冬あたりだと思う」
神崎「なんで宗滴にも『小太郎教景』を?」
諏訪「おそらく、非業の死を遂げた息子(宗勝教景)を持つ桂室永昌大姉に、配慮した意味もあるんじゃないかな?」
ケン太「『意味も』…って事は?」
諏訪「他にも理由はあるという意味だ」
岩田「それは…いったい…?」
諏訪「まとめよう。 第3夜で俺は、教景だらけの系図を…
>後世に朝倉家が越前の支配権を既成事実化した事を示す為に作られた系図
…と言ったのを憶えてるかな?」
神崎「言いましたね」
諏訪「よし…次回、最終回。
『朝倉家が『小太郎教景』で誤魔化したかったものとは?』
ご期待ください!」
ケン太「何? そのアニメの次回予告みたいな振りは?」
諏訪「一度、やってみたかったのだ」
犬千代「ニャー」
~続~