メディカルチャクラリスト高木 君与です。

チャクラティーが生まれたのは。。。
チャクラティーが生まれてから。
流れのままに。。。
流れに飲み込まれていく。。。
チームプレーの大切さと難しさ。
光。そして 闇。
自分自身への価値付け。
欲しかったラベル。必要がないと知ったラベル。
チャクラ講座の始まりはココでした。
『哲学』と信じたわたしの批判精神

続きです。
 

世の中 こんなんじゃ 駄目だよ!!! と 思うことが どんどん増えていき、

いつも どこかで 誰かのことを 見張るような、

そんな視点になっていったのではないかな? と 今のわたしは 思います。

また 震災 なども 経験し、

生きるって? 死ぬって? どうわたしは 生きる???みんなはどう生きたいの??? ということが

頭の片隅から 出て行くことはなくなり、

自分自身の体調変化や 父の心臓発作による急死を経て

その想いは もう ピークに 達していました。

つまり わたしの中の 攻撃性も ピークに 達していたのです。

恐らく この頃が 出張の多さの ピークでも あったと思います。


出張に出るたびに 帰ってくると ぐったりと 疲れきってしまい、

使い物にならなくなっていきました。


当時、 事務所での仕事を すっかり パートさんに 任せきりになっていました。

事務所での仕事を 一切 わたしは 見なくなっていました。

チャクラティー同様、

意識が 外へ外へ、 どんどん外へ、 向かっていき、

自分の会社の内情を 見ることを 放棄
していました。






これは 仕事だけに とどまりませんでした。


夫との関係も 大きく変化していきました。

わたしたちは 結婚当時、 本当に不仲でした。

いつも 彼が 不在で、 子どものことも 家のことも 何もかもが 全部わたしの肩に

のしかかっているような感覚。

どうして仲良くできないのか?

どうして彼は わたしを見てくれないのか?

どうしていつも自分はこうなんだ!!!

と言う怒り。


追いかけて追いかけて、 結局 こちらを見てくれない悲しみ。


相手は変わらない。自分が変わらなきゃ! と 

どんどん 自分自身を追い込んでいき、

そのうち 徐々に うんざりしてきて

そのエネルギーは すべて仕事へと 向くようになった頃、

夫の意識が 家へ わたしへと 向くようになってきました。


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


自分なりの ありよう を ずーっと 考えてきたはずなのに

思い返すと いつも エネルギーの矛先が 方々へ 散乱していることが

よく分かります。

これでは 何をしていても バランスなんて とりようがなく、

瞬間的には 調子よくても

ほんの少しの刺激で

あっという間に バランスを 大きく崩す毎日。

色んなことに 疲労困憊 でした。

でも、 こうなるのも 当たり前だよね、 と 思います。

ペタしてね