経営者には色々なパターンがあるのだけれど

 

 

・相手の合わせて成長段階に応じてやることを変える

 

 

このパターンの社長もいれば

 

 

・やるか/やらないか やる人だけがついてこればいい

 

 

このパターンの社長もいるらしい。

 

 

前者は気遣いタイプで

後者は遠慮しないタイプ。

 

 

前者は相手に無理をさせず包み込みながら

適性を見つけつつ組織を作り

後者はこの人についていきたい!と思わせるだけの行動と

結果を自分がまずは出そう、と考えるらしい。

 

 

って言う二つのパターンを聞いて気づいたこと。

 

 

 

わたしは圧倒的に後者パターンのくせに

前者でいようとしていたってこと。

(身近な人は多分気づいてる・・・不安あせる

 

 

 

気遣いできる人を見て

素敵だな、羨ましいなと心底思うけど

私にはできない。頑張ってもできない

その発想力がない

 

 

なのに、私の周囲は気遣いの人が多くて

同じようにできない自分にコンプレックスがあった。

で、自分なりに気遣おうとするものの

それは気遣いではなく

単なる遠慮・・・

やると自分が苦しいし、

そう言うのって側から見れば多分二面性に見えると思うから

一緒にいると苦しいと思う。

 

 

そうやって特性としてないことをやろうとすると

無駄にカロリー消費して疲れ果て

結果、自分の方に注力できない。

 

 

THE 中途半端。

 

 

悔しい。自分のことをわかってなさすぎて。

自分の個性をうまく使えてない。

 

 

人は変わらない。

自分もなかなか変われない。

 

 

できることといえば

自分を知って

自分をどう有効活用するか?だけだと思うのだ。

 

 

置かれた場所で咲きなさい、っていう本があった。

ベストセラーで読んだ人も多いと思う。

でも、わたしは読む気にならず書店で手に取ったこともない。

 

 

 

置かれた場所って聞くと

与えられた場所

決められた場所

のように聞こえる。

 

 

わたしは生まれ育ちが良い環境ではなかった。

それを受け入れ、それなりに生きろと言われているようで

不快でしかないのだ。

 

 

 

人には個性がある。

個性を活かせる場所がある。

場所を選ぶのは自分だ。

 

 

自分がもっとも美しく輝ける場所を

自分で選んだっていいじゃないか。

そのために人には足がある。

知性がある。

勇気がある。

 

 

 

自分の中から遠慮を消したい。

切に思う。

でもその前に、

ずっと遠慮してきた自分を

認めてあげよう。

遠慮することで

幼き頃の私は

生き延びる戦略をとってきたんだろう。

 

 

 

もっともっと自由になりたい。

(最後に水瓶座っぽい言葉が出てきたなみずがめ座

 

 

 

 

 

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