いさら井-日ユ同祖論と秦氏の繋がり | Takeblog ~たけぶろ~

いさら井-日ユ同祖論と秦氏の繋がり

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いさら井 

広隆寺西方の駐車場を右に出て西路地の民家に“いさら井”と呼ばれている枯れ井戸が在ります これは“イスラエルの井戸”という意味で(いさらい→イスラエルの訛り) 元は広隆寺内にあったと伝えられていますが 所有者や元東京文理大学/佐伯好郎博士によると1,700年以上も前に掘られた井戸なのだそうです 

 
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太秦の地名に由来する様に この辺り一帯は聖徳太子が頭角を示す前までは“秦氏”の旧所領で 広隆寺は古代キリスト教/ユダヤ教に深く関わりがあるそうです(後述) 

本来 “いさらい”とは「些細な」または「水の少ない井戸 ちょっとした湧水や流れ」を意味しています 

 
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日ユ同祖論 (にちゆどうそろん) 

日本人(大和民族)とユダヤ人(古代イスラエル人のうちのユダ族.ベニヤミン族.レビ族))は 共通の先祖ヤコブを持つ兄弟民族であるという説 スコットランド人が滞日中の明治時代に著した論を発端に 一部の日本人とユダヤ人によって提唱されている説 英ユ同祖論など ユダヤ人と他民族文化を関連づけて論じる多数あるユダヤ人同祖論のひとつ 

 

日ユ同祖論は主に 
1.世界に散らばったイスラエルの失われた10支族の1支族(第9族エフライム族.第5族ガド族.または第7族イッサカル族)の数人が日本に移住したという説 
2.英ユ同祖論における 世界に散らばったイスラエルの失われた10支族の1支族であるという説 
3.イスラエルの失われた10支族は日本に渡来したという説 
4.古代イスラエルの12部族全部が日本に来たという説 
5.古代日本人はユダヤ人の先祖であるという説(古代イスラエル12支族=ユダヤ民族“ユダ族.ベニヤミン族.レビ族の3族”との勘違いから派生した説) 

以上の5項目で成り立っています 

 
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日ユ同祖論と秦氏の繋がり 

秦氏は第15代応神天皇在任時に大陸から渡来し この時10万(19万ともいわれている/諸説有り)もの人々が日本に帰化したと伝えられています その一部は大和の葛城に あと多くは山城に居を構えましたが 雄略天皇(5世紀半ば)の時に京都の太秦の地に定住するようになったそうです 

 

秦氏は非常に有力な一族で 794年の平安京は秦氏の力によって事実上作られとされ 仁徳天皇陵のような超巨大古墳建築にも秦氏の力があったと伝えられています 

 

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元東京文理大学教授で景教学者/佐伯好郎 は 明治41年(1908)1月に『地理歴史 百号』(主宰/喜田貞吉)論文“太秦(禹豆麻佐)を論ず”の中で 秦氏は景教(キリスト教のネストリウス派)徒のユダヤ人であると考察しました 「“大闢大主”は中国の景教の経典においては“ダビデ”の意味であり 秦氏の建立した神社である大避神社(大酒神社)と また景教の寺は“大秦寺”で太秦と関係がある」といった内容です 

 
秦氏の本拠地/八坂神社の祇園信仰にも 八坂神社や伊勢神宮周辺などに“蘇民将来”という伝承に纏わる護符がありますが ここにもダビデの紋章が出てくる等 古代ヘブライの信仰と類似している点を見る事が出来ます “Yashashkar(ヤ シャッシュカル)”とは10支族の一つ“イッサカル族(Issacar,יִשָּׂשׁכָר)”のアラム語における呼び名です 

 

宮沢正典は著作『増補ユダヤ人論考-日本における論議の追跡』(新泉社 1982年)64~65Pで「うづ」はアラム語.セム語の“イシュ・マシャ”であり イエス・メシアを表す言葉であると発表しています 
 
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太秦にある秦氏の神社“蚕の社”には 三位一体神を意味する三柱鳥居という変わった鳥居があり アメノミナカヌシ神をその祭神としていましたが 元伊勢である“眥(籠))神社”に伝わる海部氏勘注系図(国宝)によれば 日本天地創造の三造化神筆頭である天御中主神(アメノミナカヌシ神)は 伊勢神宮外宮の祭神/豊受大神の事であると明記されています 

 
秦氏は弓月の君(ゆづきのきみ/ゆみつきのきみ)と呼ばれていたとされています 弓とは英語でアーク/弓に矢を通した形状は三日月に似ている事で月と関係している何かを持っていたのではないか または弓矢などの武器を扱っていたのではないかと推測されています 

 
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別項“蚕ノ社”でも触れますが 八角の三石柱鳥居は日本でもここだけだそうです