大酒(大避)神社-太秦の土地神 弓月国の末裔 | Takeblog ~たけぶろ~

大酒(大避)神社-太秦の土地神 弓月国の末裔

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大酒神社 (おおさけじんじゃ) 

創建に関して『広隆寺来由記』では 仲哀天皇(第14代)時に渡来した功満王(秦始皇帝の後裔)が“秦始皇之祖神”を勧請した事に始まると記されています 現在は広隆寺東隣に小祠として鎮座していますが 明治の神仏分離以前は広隆寺の桂宮院内(西側駐車場横)に鎮座する伽藍神でした 

 
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太秦の地は“日猶同祖論”の有力な証拠を多くも持っていると伝えられています この地を最初に治めた秦氏自体がユダヤと大いに関連性があると推測されている所以です 秦氏は朝鮮から渡ってきた渡来人で 秦の始皇帝を祖とする一族であると名乗り 直接の先祖(一番最初に日本に渡来した者)は弓月君(ゆづきのきみ)と呼ばれていました この先祖の名“弓月君”に大きな意味があります 

 
『新選姓氏録』には14代/仲哀天皇の時代に弓月国から使者(弓月君の父に当たる功満王)が来たとあり それが秦氏の先祖であるとされています その弓月国こそシルクロードを経由しユダヤ人の末裔が建国した“原始キリスト教の国”だというのです そして彼らが最終的に本拠地とした太秦もローマの漢字表記である“大秦”の文字をはめたのだろうという説が唱えられています 

 
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この太秦の地の土地神として建立されたのが大酒神社です(祭神は始皇帝.弓月王.秦酒公) 現在は“大酒”と表記されていますが かつては“大避”あるいは“大闢”と記されていました “大闢”は中国語で“ダビデ”を意味します つまりこの神社の名前はユダヤの王を表しているのです この所以れが太秦における“日猶同祖論”最大の拠り所とされている部分です 

 
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もう一つ 大酒神社の祭りとして有名なのが京都の三大奇祭の1つ“牛祭り”です “摩多羅(マダラ)神”なる神様が牛に乗って練り歩き 広隆寺敷地内で珍妙な祭文を読み上げて走り去ってしまうという 誠に摩訶不思議な祭りですが 秦氏のルーツと目される中央アジア周辺には“ミトラ教”なる教えがあり その最高神/ミトラ神は牛の頭を持つ神として伝えられています この事から多くの研究家はこの祭りを“ミトラ教信仰の名残”と推察しています 

 
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都名所図会 (みやこめいしょずえ) 

江戸時代後期に刊行された京都に関する地誌 “都名所”と称しているものの その記述内容は洛中.洛外に限らず広く山城国全域に及んでいます 文章は秋里籬島/挿絵は竹原春朝斎 全6巻11冊 
 

摩多羅(マダラ)神を牛に乗せて巡行する牛祭の図 聖徳太子や弘法大師の名も確認出来ます