木嶋坐天照御魂神社-蚕ノ社
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
通称は“木嶋神社(このしまじんじゃ)”や“蚕ノ社(かいこのやしろ)”とも云われ 古くから祈雨の神として信仰された神社 境内には日本でも唯一の珍しい“三柱鳥居”があることで知られています
創建は不詳 一説に推古天皇12年(604)広隆寺創建に伴い勧請されたともいわれています 史料からは大宝元年(701)の記事以前の祭祀の存在が認められています
祭祀の淵源には諸説ありますが 嵯峨野.太秦周辺は渡来系氏族の秦氏が開拓した地で 広隆寺.松尾大社.蛇塚古墳などの関係寺社/史跡が知られる事から 木嶋社もまた秦氏ゆかりの神社といわれています
また現在本殿東隣に鎮座する蚕養神社は 秦氏が将来した養蚕.機織.染色技術に因むと推測されます ただし秦氏の渡来以前にも木嶋社付近では和泉式部町遺跡などの弥生時代頃からの集住を表す遺跡の存在が知られています
境内は御室川右岸の低位段丘面上の東端にあり 双ヶ丘の真南/広隆寺の真東に位置します 鳥居は広隆寺の南門のほぼ真東 木嶋社はその存在が文献上では古く大宝元年(701)に見え 京都市内でも最古の神社の1つに位置づけられます
元糺の池の存在から文献上での祈雨記事との関連性が見える他 蚕養神社の存在から秦氏との関連性が見られ また巨樹の社叢から古来の姿が窺える事から 境内は京都の歴史上重要な遺跡であるとして京都市指定史跡に指定されています
現在は涸れていますが25年程前までは湧水が豊富であったといわれ 現在も夏の土用の丑の日にこの泉に手足を浸すと諸病に良いとして信仰されています
三柱鳥居(みはしらとりい)
柱三本を三角形に組み 三方から中心の神座を拝することを可能とする珍しい形式の鳥居で “京都三鳥居”の1つに数えられています 中央の神座は円錐形に小石を積み 中心に御幣を立てて依代としたものです
この鳥居の起源等は詳らかでなく秦氏の聖地である双ヶ丘/松尾山(松尾大社神体山).稲荷山(伏見稲荷大社神体山)の遥拝方位を表したとする説などが有力です