京都市右京区-太秦和泉式部町 | Takeblog ~たけぶろ~

京都市右京区-太秦和泉式部町

和泉式部町291101  
和泉式部町291106  

太秦和泉式部町(うずまさいずみしきぶちょう) 京都の地名 
昔 法妙寺跡に平安時代の歌人/和泉式部の塚があったといわれており この地は“字和泉式部(あざいずみしきぶちょう)と呼ばれていました その後町名の由来になったとされています 現在和泉式部塚は失われています 
 
和泉式部町291103  
沿革  

鎌倉時代中期 円覚(1223-1311)がこの付近に法妙寺を開く 
江戸時代 

1702年 和泉式部の塚は槲(かしわ)の木の傍らにあったと記されている(山州名跡志) 
1754年 法妙寺の円覚上人の塔旧跡に 槲の木が植えられていたという(山城名跡巡行志) 
明治時代 

1848年 法妙寺跡に和泉式部の塚があったと記されている(捜式部古墳記) 
昭和時代 

1931年 字和泉式部より和泉式部町に町名が改められた 

 
和泉式部01  
和泉式部 (いずみしきぶ) 天元元年(978)頃-没年不詳 

平安時代中期の歌人 越前守/大江雅致の娘 中古三十六歌仙.女房三十六歌仙の一人 
 

王朝女流歌人の中で第一人者とされ 『拾遺集』に多数入集 敦道親王との恋を記した『和泉式部日記』 和歌『和泉式部集』などがある 京都/誠心院に墓とされる宝篋印塔がある