7月27日、次男・俊佑が天使になってしまいました。
9日間懸命に生きてくれました。
26日調子が悪いと言われ、27日に日付が変わる頃NICUから呼ばれました。
主人もきてくださいと言われ、何がおこったのだろう…ととても不安でした。
腸に穴が開いてしまい、お腹がパンパンに腫れあがってしまったと…
今はあまりに小さいために手術ができないので、NICUの中でお腹にチューブを4箇所刺し、空気や便を抜く処置をしますと先生から説明されました。
詳しく説明され、色々な可能性を言われました。
最後にとてもきびしいです…と。
俊佑に痛い思いをさせたくないけど、しないと命がない…
とても辛い思いでした。
処置の前俊佑に会いました。
お昼より身体が黒くなり、ぐったりしていました。
涙があふれ、俊佑をなでました。
“大丈夫だよ。俊佑はよくなるよ。頑張ろうね。俊佑は大丈夫だよ。”
先生によろしくお願いしますと言いNICUをでました。
きっと大丈夫。
俊佑は大丈夫…
何回も自分に言い聞かせ、主人と2時間近く待ちました。
その後、呼ばれていくと、出血がひどく危険です…と。
信じられませんでした。
元気になることしか考えてなかったので。
そこにはげっそり細くなり、お腹のガーゼが赤く痛々しい俊佑がいました。
もう涙が止まりませんでした。
“痛かったね。よく頑張ったね。えらかったね。”
たくさんなでてあげました。
先生から心拍が弱っています。抱っこしますか?と言われ、
私はもうだめってことですか?と信じたくなく抱っこすることがしばらくできませんでした。
俊佑に
“俊佑、がんばろ。大丈夫だよ。がんばれるよ。がんばって生きよう。
みんなのところに行かないで。ママのそばにいて。”
何回も呼びかけました。
どんどん弱っていく心拍を見て、先生が抱っこしてあげてくださいと。
もうだめだから、と言われているようで抱っこするのが嫌でした。
俊佑は生きる、と信じたかったのです。
抱っこして、頑張って心臓を動かし生きる俊佑を見て、
“ごめんね…こんな辛い思いをさせて。痛かったね。辛かったね。”
がんばろうと言えませんでした。
1時間ほど私に抱っこされ、私の腕の中でパパも見守る中俊佑は天使になりました。
ごめんね…俊佑。
ママが早く産んだせいで痛い思いをさせてしまって。
ごめんね。
先生から原因の説明や解剖のお願いをされました。
解剖はまた痛い思いをさせてしまうということで悩みましたが、やってもらうことにしました。
これから同じような子がいたら助けてあげてください…という願いと、ちゃんとした原因を知りたかったから。
大学病院でしかできないということで、先生とその日のうちに行き、3時間ほどで帰ってきました。
先生からは今までに見たことのない症例でした…と。
腸は穴が開いていたけれど、お腹の筋肉が腐ってしまっていたと…
お母さんのお腹にいるときからなんらかの影響があったのでしょう…と。
俊佑は心筋は厚く、身体に負担がかかっていると生まれたときから言われていて、それもお腹の中からの影響だと…
お母さんは自分を責めないでくださいと言われるけれど、私のせいだ…と改めて思いました。
早産になったのも私の体のせい…
栄養が英佑だけじゃなく、俊佑にもいきとどいてなかったんだ…
ごめんね…
こんなママでごめんね。
私は5人も子供に恵まれながら、元気に健康に産んであげることができず、4人も亡くならせてしまった…
ママ失格だ…
どうしてこんな私のところに子供達はきてくれたのだろう…
すごく自分を責めました。
そして、俊佑が亡くなってしまい、みんないなくなってしまうのではないか…
私の元から茉穂までいなくなってしまうのではないか…
ものすごく怖く不安になりました。
4人も自分の子供の最後を見送り、お空に返してしまいました。
しばらくどうすることもできず、報告も遅れました。
本当はこんな報告はしたくなかった…
茉穂はまだまだ安心はできませんが、みんなの分を頑張って生きてくれています。
俊佑も英佑も颯佑も果穂もみんなが茉穂を守ってくれるはずです。
毎日祈るばかりです。
そして、私もまだ退院できてません…