少し更新の間が空いてしまいました。
実は今日流産の手術を受けて来まして…。
詳しくはまた改めてブログ書きますね。
(このペースでいけばいつになるやら。笑)

今は本当にお腹から赤ちゃんがいなくなってしまったのだという喪失感と寂しさで苦しいですが、いつかまたきっと帰って来てくれると信じて前を向きたいです。

うん、いつか絶対に戻って来てくれる!!
(私は言霊をわりと信じています照れ



さて、前回のブログの続きです。
まだまだ当分暗い内容ですがお付き合いいただけると嬉しいです。
(今回は内容が暗いだけでなく不快なものだと思います。すみません。。)




入院初日に主治医から言われていたのは、

・入院中もし大量出血の気配があれば即手術する
・毎日血液検査をして、hcgの数値が下がらなければ入院期間を延ばす可能性があるし、順調に下がれば3日間で退院できる

というものでした。


私の場合は、そのhcgが最初の産婦人科で測った時点→救急外来で測った時点→入院2日目で測った時点、と当初から順調に下がり続けていました。
数値は具体的には覚えていませんが、だいたい3000→2500→1000ぐらいだったかと。
結局予定通り、3日で退院できることになったのですが、退院時の血液検査の結果は600ぐらいになっていました。




今思えばこの頃の私は異常な感覚で自分の状況を受け止めていました。
(ありのままを書きますので、以下を読まれて不快な気持ちになる方もたくさんいると思います。今辛い思いをされている方は以下をお読みにならないことをおすすめします。こんなことを言うのは失礼と承知の上ですが、自分を省みる意味でここで嘘をつきたくないのです。)






















この妊娠(結果的には子宮外妊娠でした。)は私たち夫婦にとって不測の事態でした。


もちろん「いつかは子供欲しいね。」とお互いに話はしていて、避妊もしていませんでした。


でもそういう話をしてから約半年間、なんとなーく排卵日付近でタイミングをとっていたものの、全く妊娠する気配がなかったこともあり、私たちの中には「私たちは子供が出来にくい体質なのではないだろうか…」という雰囲気が漂っていました。

子宮外妊娠が発覚したのはちょうどその頃、排卵日付近でタイミングを取るのをひとまずやめたタイミングでした。
なのでまさか妊娠するなんて想像もできないし、妊娠したとするなら私は一体いつ排卵していたの??という感じ。



この頃は本当に妊活らしい妊活もせず、もちろん基礎体温も計らずで、今となっては排卵日なんてお前がわかるわけないだろ、と過去の自分に呆れかえるレベルなのですが、そういう次元に私はいたのです。


無知って本当に怖いですね。
子宮外妊娠を経験しなければ、今もまだ無知のままだったと思います。






…いいえ、子宮外妊娠を経験しても私はまだまだ無知でした。
(ここからが嘘偽りない私の異常な感覚です。)










なぜなら、退院する頃、私はものすごく嬉しかったのです。


何が?って思いますよね。
私も今ならそう思えます。
でも当時は本当に嬉しかったのです。



なぜ嬉しかったのか。
無事退院できたから?
手術することがなかったから?





いいえ、違います。






妊娠できる、ということが分かったからです。





妊娠できない体質なのかもしれない、そういう不安がこの子宮外妊娠をきっかけに吹っ飛んだのです。




排卵日に受精できれば妊娠できる。


受精卵が卵管に詰まらなければ妊娠できる。



子宮外妊娠の治療が終われば妊娠できる。



次はきっと妊娠できる!!










今、この頃の自分のことを省みると涙が出ます。


なんて自分のことばかり。

次のことばかり。


赤ちゃんは卵管で必死に大きくなろうとしていたのに。

手術にならなかったということは、赤ちゃんの命がもうすでになくなってしまっていたということなのに。


そんなこと、全く考えていませんでした。


ちゃんと育ててあげられなくてごめんね、

ちゃんと産んであげられなくてごめんね、

苦しい思いをさせてごめんね。


なんでそう思えなかったのでしょう。






後悔してもしきれない気持ちが今私の中にはあります。

でもこの時の私は未来の私がそんな気持ちでいることも知らず、ただ自分(だけ)の未来に希望を抱いていたのです。