平等とは何か考えてください。


今日は、私のところで昨年から就職に関する研究をしている「研究生」の発表会でしたので、前回の続きの「キャリア教育」のことについて話をしていきたかったのですが、ネット上にすごく気になる情報を見つけてしまいましたので、それについて考えてみたいと思います。


ところで、今日仕事を終えて変えると、テレビに「先生1,000人に聞きました」みたいなタイトルで、訳の分からない教員が何人も出ていましたね。教師として思うことは、本当に子供のことを考えているのであればテレビにはでないかな?私も途中からビールを飲みながら観たので次第にエキサイトしてしまったのですが、「バレンタインデーにチョコをもらうこと」を自慢げに話す馬鹿な教師や、挙句に「体罰」を肯定するようなことを言い出教師まで出てきて本当にテレビの前で「馬鹿か!お前は~!!」と一人でエキサイトしていました。昨日も細木の番組に馬鹿な教師が出ていましたね。思慮の浅さを露呈していました。


体罰についていまだに「肯定」する教師がいることに驚かされます。

子供は犬猫ではありません。こんなことを言うと犬や猫を飼っている皆さんに怒られそうですが、犬猫でもたたいて覚えさせることはしませんね。ある馬鹿な教師は「昔は生徒をたたいていた。たたかなくなって結果がよければ何も言わないが、たたかなくなって生徒は明らかに悪くなった」と自分の指導力のなさを平気でテレビでしゃべっていました。どんなに正当化しても暴力は暴力です。暴力の連鎖は何も解決しません。たたかれた子供が「あっ!悪いことをしたんだ。これからは気をつけよう」と思うでしょうか?

生徒に手を上げなくても生徒から本気で恐れられる先生はいますし、本気で心から話ができる先生もたくさんいます。そうでない、そんな指導力もない教師が理由をつけて生徒を叩く。これは「教育」でもないし「しつけ」にもなりません。一部の教師や芸能人も言っていましたが「人間関係」を教師も作れないのです。教師にその能力がないのです。人間関係さえあればいろいろなことが問題ではなくなります。それば保護者にもいえています。


今日の本題は「平等・不平等です」前から問題意識は持っていたのですが、ネット上のある掲示板にこんな書き込みがありました。


「いきすぎた平等主義」って、どういうことですか?
その結果がどのように日本に影響しているのでしょうか?


みなさん何を創造しますか?平等って何なのでしょう?


<抜粋1>

名簿順が男女混合。
運動会で男女で徒競走。
スポーツテストの統計で、やはり平均的に男女の差が出るということなので、
息子の小学校では別でした。
手をつないでゴールする所もあるらしいですよ。

テストには平気で点数(個人の力量の差)をつけるのに、
今の教育って変わってますよね。


<抜粋2>

うちの子供の小学校では、
男女平等をかなり意識させていて、
名簿も並ぶ順も男女混合。
呼び名も、男女とも「○○さん」を徹底させています。

運動会の徒競走も男女混合は勿論、
なんと、「赤組」「白組」だけでは競技の結果が勝ちと負けに別れてしまうので「青組」を作り、
勝ち負けでは無く、結果発表では「一位、二位、三位、、」で、(3位は負けでは無く、3番目の勝ちだったと、)全ての組が勝った。と表現されています。

遠足のおやつも各家庭の貧富の差が見えてはいけない(買えない子がいるといけない)と、給食費の中から学校が買い揃えます。。。。

こういう学校教育の事では無いでしょうか?
この子達が大人になる頃が怖いです。。。。


<抜粋3>

男女別に競争をする事を「差別→平等に」と感じる方が世の中にはいるのです。

細木さんが言ってましたが、
例えば電車のホームでお婆さんと若い子が同じくらい待っていて
若い子だけが椅子に座れたどうですか?
譲ってあげれば良いのに・・と思うはずです。
でも平等社会では許されないのです。

優しさや思いやりがなくなってしまう。
という事も考えられます。

「女のくせに」「男のくせに」という事がいけないのです。

平等の意味をよく考えましょう。


私の子供の学校でもここまでではないですが、ほぼ、これに近い状態です。昨日も話をしましたが、勉強ができるというのは「能力」の一部です。足の速い子、料理の得意な子、友達の作り方が上手な子、編み物が得意な子はいつ一番になればいいのでしょう???勉強ということだけではさんざん子供達を競争させ、区別し、順位をつけるのに、なぜ運動会や、遠足では一緒で無いといけないのでしょう??最後にこういう意見もあります。


昨今の幼児教育等でも本人が理解できる年齢に達していないのに順位を付けるのは可哀相等と運動会でも順位はつけない等の風潮があります。
大切なのは結果平等では無く機会平等のハズなのですがこの辺りを勘違いした過保護な風潮が『頑張って結果を出せば褒められる』と言う子供達の向上心を抑える事に繋がっていると思います。
これらの傾向が顕著になったのはちょうど現在ニートと呼ばれている働きもせず親に寄生している世代が子供の頃と時期が一致しますが、結果平等が過ぎて甘やかされたまま育つと、実社会に出てから現実との狭間で苦しみ自立できない、向上心の無い人間が育ってしまうと言う結果に繋がると思います。


つまり、今のニート・フリーターは私達が作り上げた産物だと言うことがいえると思います。しかも、このシステムは変わらず続いているわけですから、これからもますますニートは増え続け、親離れできない子供、子離れできない親が世間にはあふれ、仕事をしない若い人たちを若干の気持ちのある人間達が必死に支えていく構図が見えます。これって平等???


勉強という大人が決めた尺度で子供を測ることは平等?

学力という人間の能力の一部の能力を使って人を判断して学校を分けることは平等?


そうして、平等という間違った尺度で測られた子供達が社会に出たとき、いったいどんなことが起こるか私が書かなくても想像はつくと思います。


日本の教育は間違っています。


生徒達は分かっています。知っています。だけど言えないのです。


保護者も


教師も


社会も


生徒のことをわかってあげなければなりません。

もう、同じあやまちの繰り返しはやめませんか・・・・・・・。教師として、この、こんな状況をどうすればいいのですか?なにができますか?


誰が気づきますか・・・・・どうすれば・・・・・・わかりません。


助けてください。