アメリカでもハリケーンが大暴れしているらしい・・・・


日本でも、台風シーズンを向かえこれから多くの被害が予想されています。

天災が起こるたびに思うのですが、本当に大自然の驚異の前には、人間は本当に無力だなぁっと思う。東北地方を襲った地震もそうですが、いまだにそのシステムや、事前の察知などまだまだ人間は地球の小さな動きの前にまるで無力です。台風もそうで、進路を変えたり、途中で消滅させるようなシステムなどまるでない。


エルニーニョ、ラニャーニャなどの現象もなぜ起こるのかという解明が進んでいるだけで、それを止めるような方法などはまるで研究すらされていない。


かつてのインカ帝国やマチュピチュが滅びたように、地球宇宙規模の動きにはまるで力なく滅んでいってしまっています。人間は、自然を制圧し、地球上の生態系の中でトップの地位を占めていると思っていますが、それでも地球規模の動きには本当に無力なのがよく分かります。


毎年、アメリカにも甚大な被害を及ぼしているハリケーンも大統領が「非常事態宣言」をするだけで、何をどうするというわけではない。人々はハリケーンが通り過ぎるのをじっと待つしかない。

数年前までは、アメリカにハリケーンが接近するといっても「被害が出なければ良いのに・・・・」と思うくらいだったが、今は状況がかなり違っています。

なぜかというと、テキサスの「ウッドランズ」という町の高校と、学校交流、交換留学を前任校で行っていたからなのです。私も、テキサスのウッドランズの町を3回ほど訪問しました。


もちろん私は「商業」の教師ですので、そんなに英語が堪能なわけではないですが、コミュニケーションというのは「英語が話せる」とか「成績がよかった」などということは、ほとんど関係がないことが分かっています。いくら難しい文法を知っていても、高校、大学の成績がよくても「伝えよう!」という、気持ちがないとまったくコミュニケーションは成立しない。

それよりも、文法はそんなに知らなくていわゆる「受験英語」がそんなに得意でなくても、まったく不自由することなくホームステイ先で楽しむことができたし、私自身もウッドランズにたくさんの友人ができた。


前任校の生徒達は、どちらかというと「お勉強」は得意な子ども達ばかりではない。何度も言っていますが、勉強ができるというのは、その人間の「特技」の一つでしかないと思っていますので、あまり関係はないのですが、私と一緒に参加した生徒達も「同じ経験」をしている。15名ほどの生徒と一緒に現地に交換留学したのですが、初日こそちょっと心配しましたが、後はまったく問題なくコミュニケーションが取れている。つまり、コミュニケーションというのは「伝える」「伝わる」ということができれば、言葉が付いてなくても十分に疎通している。


これに言葉がつけば、もっと繊細なコミュニケーションが取れると感じた生徒は帰国後一生懸命に「英語」を勉強していた。自ら課題を発見し、自らこれを解決していく。まさに、これが生きた教育であり、勉強と言うものではないかとも感じた。


子ども達は10日間で大きく成長します。「こういうことを続けていかなければ!」と心に思っていた矢先に教育委員会への移動を聞かされた。後は、残った教員が引き継いだかが「想い」が続かなければ、あっさりと消えてなくなってしまいます。関係を造るには数年かかったものも、なくなるときは本当に一瞬ですね。


私個人は、学校の関係が切れてからも現地の学校の先生や、ホストファミリーとは年間何回かのメールのやり取りをしたり、上の娘を1年間の留学で受け入れていただいたり、また、私たちも娘の留学中には現地に遊びに行ったりと、本当にいまだにいい、お付き合いをさせていただいています。


ということもあり、テキサスにハリケーンが近づくという話は「対岸の火事」ではないのです。もちろん、知り合いがいなくても、世界規模で考えると大きな問題であることには違いないのですが・・・・。

早速、現地の先生やホストファミリーにはメールを送ってみました。アメリカの皆さんは、なぜか緊迫した様子は感じられないのですが、それでもかなり心配をしているようで、ハリケーンが過ぎ去ることを願っていました。


そういう風に考えてみると、地球って言うのは本当に狭い。

自分の手のひらばかり見て、自分のことばかり考えていてはいけないことに気づかされる。


気が付けば、友は世界のいろいろな国にいる。シンガポールでホームステイした時の一緒に飲み明かした中国人の彼や、スゥエーデン人の彼。そして、ホストファミリーの家で毎日食事を作ってくれたメイドさん。ロンドンに住んでいる大学時代の友人。ハワイのホストファミリーの皆さん、学校交流した先の先生達・・・・・。


私たちの「想い」は自分のことだけではなく、世界中のみんなが幸せに、そして、笑顔で過ごしてもらうためのものでなければならない。

世界に想いをはせ、世界中の人々の幸せを考えた時に、いまだに続く紛争や、飢餓、テロ、世界的な格差・・・・そういうものも私たちは考えていかなければならないのではないだろうか・・・・・。


世界は、遠く、関係のないもの。

ではなく、私たちといつもつながっていて、私たちの想いは、彼らの想いでもあることに気づかなければならないのではないだろうか・・・・・・。


ハリケーンの被害のないことを祈りつつ・・・・・・。