羽田雄一郎議員の訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。


石井ターニャより、羽田雄一郎議員についてコメントを載せさせていただきます。


羽田雄一郎議員とは、父石井紘基が羽田孜先生の成城学園の後輩という繋がりで、後援会長も共通の方で、父の生前は年末などに、成城の同級生の方々とそのお宅などで集まる機会をいただいておりました。
当時、音楽などを交えて心温まる時間を過ごさせていただきました。

忙しかった父とは、そのような時間を過ごす機会が少なかったため、貴重な機会をいただけましたことに感謝しています。

当時、雄一郎議員は子供たちの中で一番年長者でしたので、いつも年下の私たちの面倒をみてくださいました。
いつも気配りをされ、我々子どもたちにとってとても頼りがいのあるお兄さん的存在でした。

父が亡くなった際には、真っ先にに病院に駆けつけて下さり、私が病室で父に対面し泣き叫ぶ時にも、私が倒れないように、ずっと支えて下さいました。
ただただ、その悲惨な光景を、唇を噛み締めて、何も言わずに見つめておられました。

当時のマスコミのプライバシー配慮の欠ける激しい攻勢の中、雄一郎議員のお車に居させて下さいました。ご次男の次郎さんと共に、ショックで張り裂けそうな精神状態の私を、ずっと車内で待機させて下さり、なるべく私が落ち着けるような会話をしてくれました。

食事も喉を通らず、何をどうしていたか覚えていないほどでしたので、いかに助けていただいたかと、改めて思い返しております。

また、派遣されてきた意味不明の失礼なカウンセラーに対しても帰るように言って下さったり、あの時、かくまって下さらなかったら、本当にどうなっていただろうと思います。
私がその後普通に出来たことは、紛れもなく羽田兄弟のおかげです。

当時自宅に帰る時も、自宅前に待機していたものすごいマスコミの間を車で安全に家まで入れるように等、数々の場面で最大限の配慮をして下さいました。
一番辛い時に、ご兄弟でずっと側にいて守って下さいました。
葬儀後も、本当に親身になってくださいました。
雄一郎さんと次郎さんが居てくださらなければ、あの時私は乗り越えられませんでした。
私にとって、かけがえのない方です。
本当に、感謝してもしきれません。

秘書時代の仲間は、議員になった方もいらっしゃれば、様々な道に進んだ方もいらっしゃいます。

雄一郎さんは、表に出さなくても、いつも仲間たちを気遣ってくださいました。

孜先生が亡くなられた時に、久しぶりにお目にかかりましたが、今までと変わらず、優しいお姿でした。

あまりに突然のことで、お別れも出来ず、ショックでただただ茫然としています。

残されたご家族、特にお子様のことを考えると、胸が痛みます。

こういった社会状況下で恩返しも出来ず、悲しいことに今はもう心の中でご冥福を祈り感謝することしか出来ません。


雄一郎議員の名誉を守るフリをして聞きかじったことを好き勝手に書いたメディアによる報道も許せません。
本当に悲しくなりました。



どうか、皆様に、羽田雄一郎議員の名誉を守ることとご家族への思いやりをいただけますよう、心よりお願い申し上げます。


合掌



             石井ターニャ