どこかに資料が残っていたはずですが‥



いわきでは、

江戸の時代にも数度、

あるときは、500軒ほどの家が、津波で流された(はずです。)


(10倍?)当時の500軒ですから、海岸のほとんどでしょう。

(マイナス)当時は、浜に直接家を建てていたことから、被害は大きかったはず

ですが、

当時も、同じプレートが動いたんじゃないでしょうか。



また、

名古曽の関(勿来の関のこと)がどこにあったかの論争の中に、

地震で崩壊した=九面の海側にあった

とする説があります。


8世紀ごろ、苗字を承った記録に、

復興に貢献したらしきことが記載されているとのこと。



そのたびに復興を遂げてきたご先祖がいます。

後の時代に、東日本大震災では、すばやく復興を遂げた‥

と、付け加えられるよう、もうひと踏ん張り。。。

Cheer up! IWAKI