本日は大祓神事。
特に今年は、不必要なもの、人と決別する、物理的に無理ならお別れする決断をする、ことをお勧めします。
ちなみに「決断」の意味って、「決める」ことより「断つ」ことの方が大事らしいです。 この話はまたの機会に書きますね。
ここからは、長くなりますので興味のある方だけどうぞ。
大祓神事スペシャルです。
残念ですが、根っこから腐った人間はいます。(ほとんどは、後天的に自分でそう仕向けていったのですが)
「ただ善の他は決して受け取らないためには、一つだけ方法がある。 それは、純粋な愛によって動かされない人間は無機物と同じで、世界の秩序の中の歯車装置にすぎないのだと知ることである。 ただし、抽象的に知るのではなく、全霊を持って知ることである」 シモーヌ・ヴェイユ
悪意を向けられると反射的に悪意で返そうとする。
でも、それって自分も歯車装置になっていることと同じ。
たまたま降りかかった天災と同じと考えよう。
それを全霊をもって自分のものとすること。
みたいな感じ。
難しいですけどね。
相手が石ころみたなもの、とか天災だ、とみなして流すこと。
一呼吸おいてやりすごす
お茶を飲んで落ち着く
でもたいていはそんな単純なものではないですよね。
以前6/14に私が書いた「真っ白なシャツについた汚れが気にならなくなってゆく話」と同じで、相手が真っ黒に染まったTシャツだったら。
「その家に入ったら『平和がありますように』と挨拶しなさい。
家の人々がそれを受けるにふさわしい人々であれば、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。
もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる」 マタイによる福音書 10章第12節ー13節
あなたが善意で向き合った人が、それに値する人間でなかった場合、もっというと幸せに値しない腐った人間であるほど、あなたが出した善意はあなたに戻ってくる。
相手の幸せを願うことは決して無駄でもなく、回りまわって自分の返ってくる。
いつやねん、とか言われても困りますが、放ったものは必ず帰ってくるという宇宙の法則から照らし合わせたら、そうなるんだと信じています。
まさに、情けは人の為ならず ですね。
とはいえ、そんなに単純に割り切れないのも人の常。
偉そうにこんなことを書いている自分も「葛藤」の中にいます。
はらわたが煮え返りそうになることすらあります。
そんな時は、なんとか俯瞰してやり過ごしますけど。
その葛藤、相反する意識、気持ちもすべて自分のもの、隠したい・切り離したい心も、「自分の大事なパーツ」ととらえて、自分のエネルギー、パワーにしたいと考えていますよ。
これが、スピリチュアル業界でよく言われる「統合」の本当の意味だと私は考えております。
昨日、別ブログに芽の輪くぐりのお話を書きました。
よろしければ、ごらんくださいね。
https://ameblo.jp/matrix1230/entry-12809983421.html