Dancing Jade
 
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する事が大切だと思う

自分とは自然界の中で存在しているのだと思う。自分とは小さな地球という星の中で、ただのちっぽけな一員だと思う。君達も僕も銀河系や未知に拡がる宇宙があるのを忘れてはいけない。謝ちは、胸・腕・足・肩・背中・全ての体内にあり、脳を謝ちにより洗脳され自分を見失ってしまう事もあるかもしれない。
謝ちは、心の思いとは別にあるもので、目に見えないものかもしれない。
謝ちの疲労感は徐々に、身体の中に積み重なるものかもしれない。
謝ちの自分の身体が蝕まれ、いつか荒波のように現れるものでもあるように思う。

謝ちを自覚し、正直に素直に反省する事が大切だと思う。
過去や現在と今後の自分に気付く事や知る事、そして反省をする事が大切だと思う。
自分を見つめて、自分や相手を絶対に決め付けない事、そして反省できる自分を創り出す事。
当たり前な事かもしれないが、それが出来ない自分がいて、大切なものを全て失ってしまうかも知れない。
誰もが簡単に相手を傷つけ、たった一瞬で愚かな謝ちを犯すものだと思う。
その時には自分を振り返り、必ず、反省する気持ちが必要だと思う。


良く自分を考えてみると、それがなかなか出来ないのが、人間という自分なのかもしれない。
相手側にとって良い事になれば、良い事が、自分の人生の中で返って来るものだと思う。
相手側にとって悪い事になれば、悪い事が、自ら苦痛の人生に変えてしまうものだと思う。
全ての謝ちは、自分に返って来るものだから、自分の謝ちを自覚して正直に素直になり、そして反省をする事が大切だと思う。

謝ちの自分を自覚して見つめて、反省する事が大切な事だと思う。
これからの将来への自分の人生をもう一度だけでいいから、考えてみたらどうだろうか?
君達の心の中にある思いとは、君達の「コア」とは、何だろうか?
反省できる自分を見つけて、もっと、もっと、心にある思いの視野を拡げて・・・
曖昧な自分ではなく、言動と行動で表現して、自分自身を信じて真実に導きこう。
もう一度だけでいい、反省する自分を考えてみてはどうだろうか?

開いてはくれない

誰でも人生には、善と悪を持っている。悲しみや苦しみ、哀れみの中でも、常に、どれかを選択するものだと思う。喜びや楽しみ、憂いなども同等であり、常に日頃から心の中に抱くものだと思う。自分の心の中心にある善と悪とはなんだろう。喜怒哀楽の中にも善と悪が隠されているものだと思う。初心に戻るには、人生の中での体験と探索四十學習研修経験が必要であり、大切にしなければならない。だからこそ、初心に戻る事が出来るのだと思う。体験や経験が無く、考え方が浅くて、愚か者であれば、戻れる心の持つ初心というものはない。誰もが、愚かな人間の姿を持っているものだと思う。しかし、人生の尊さに気付ければ、おのずと良きも悪くも誰かが与えてくれるものだとも思う。自分一人では、善の心では生きられないのだとも思う。きっと、誰かがの言葉で、気づく時が来る(訪れる)と思う。善に染まるも、悪に染まるも、自分次第な探索四十學習研修のだ。人生には、与えるものと、与えられるものがあるのだから。善の心を忘れてはならない。善の心とは何だろう…  良く考えてみよう 自分で…自分でわからないのなら、誰かを頼り、良きアドバイスと良き導きがある事を願う。どこへ出かけても、見える姿は君だけしかいない。こんなにも、君を好きになってどうしよう。ただ、生きているだけで、君の姿に生きがいを感じても、当惑(とうわく)する事もある。だけど君は、なかなか心を開いてはくれない。せつない、この気持ちを、どう伝えたらいいのかと戸惑う。無限大にある、愛の歩いていく道のりは遠いもの。愛とは限られたものではないと、信じて生きて来た。年月は思い込みや先探索四十洗腦入観を創り、愛を狭め(せばめ)てしまう。本当の愛の真実は、今いずこにあるのだろう僕の愛は、なぜかいつものように、寄り道をしてしまう。どんなに長い道のりを歩いたとしても僕は君だけを信じて、その道を歩いて行くだけだろう。僕は君だけを信じて、寄り道をして片想いを続けていたのに、 君は、いつも横に寄り添っていてくれていたのに君は、何も気づかないふりをして、僕を惑わすだけだった。本当の君は、僕の片想いの恋に気づいていたくせに君が振り向いてくれたのは、いつだったのだろう。君と僕が出逢った場所で、また出逢って恋をする。

私はダークダック

アマゾンで「家族」が販売され改善肌膚暗沉 るようになりました。春先に友人が亡くなったことはブログに書きましたが、あれから三ヶ月が過ぎ私も少し気持ちが変わってきたように思います。この小説は今の私の視点で書いてみました。亡くなった友人は私に「みどりちゃん、何でも書いたらあかんわ」と言っていましたが、私は書くことで初めて前に進めるような気がします。 最近は目の調子がよくなくて、一日のうち、ちゃんと見える時間が減っており見えるうちに書いておかなければと焦燥感に突き動かされています。私から書くことを取れば何も残らないような気がします。目が見えない時、或いは目の前が暗くなっている時、私は頭の中の原稿用紙に書いています。でも容量が超えてしまうと忘れてしまう気がして、見えるようになると一気に書く、といった状態です。この作品もその作品の中の一つです。どうぞよろしくお願いします。 たしか三月にはゲタさんが、その前には一番若かったパクさんが。訃報を聞くたびに、私たちの青春が消えて行くような寂しさと悲しさで私は涙ぐみました。私たち世代にとってダークダックスはまさに青春そのものでした。ロシア民謡を初肌膚護理產品 め、すべて素晴らしい歌声は、何に例えようもなくじんと胸の底の底まで浸みこんで聴く人の心を美しく優しく豊かな気持ちにしてくれました。今は一人になったゾウさんの低音は、その穏やかな笑顔と相まって懐かしい安らぎの場所へ私たちを連れていってくれました。私も昔はみんなでよくロシア民謡を歌いました。若かりし日の夫も二人で歩いている夜など高く澄んだきれいな声でダークダックスの歌を聞かせてくれました。夫が田端義夫の大ファンで、演歌大好き人間だったことを私は結婚するまで知りませんでした。彼の演歌もなかなか上手いものでしたが、私はダークダックスを歌う彼の方が今でも好きです。みんな逝ってしまって「抗衰老精華 昭和は遠くなりにけり」を実感しているこの頃ですが足早に歩きながら私は少し自分が嫌になっていた。こんなつまらないことを気にする私ではなかったのに。私彼のこと本当に好きになってしまったのかなあ。彼は書店の入り口で待っていた。糊のきいた白いワイシャツがまぶしかった。ごめんなさい、お待たせして。」      
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