ニッポン哲学(3) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ
本日3月20日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

<2021年3月19日現在>                
PCR検査数    累積9,194,356     2月17日7,707,786     直近30日間1,486,570
陽性判定数    累積452,702     2月17日419,015     直近30日間33,687
死者数        累積8,758     2月17日7,102         直近30日間1,656
致死率        累積1.93%    2月17日1.69%        直近30日間4.92%
(データ元:厚労省「新型コロナウイルス感染症に関する報道発表資料」)

 

厚労省が毎日発表しているPCR検査数、陽性者数を7日間合計し、陽性者数÷検査数=陽性率の2月18日~3月18日までの推移を視覚化したのが上記のグラフである。
見やすくするために、PCR検査数は10分の1にしてグラフ化した。例えば3月18日までの7日間合計のPCR検査数(青棒)は、グラフでは35000のラインを少し超えたところにあるが、実際には361,056件であり、陽性者数はグラフ表示どおり8,263人である。
ここからわかることは、10都府県に発出された「緊急事態宣言」が1都3県を除いて解除された3月7日時点と、1都3県も含めた解除が決まった3月18日時点で、PCR検査数、陽性者数、陽性率の1週間合計数は、ほとんど変わっていないか、微増気味だということである。
にも拘わらず、3月7日に1都3県が「再延長」され、3月18日には「解除」されたのは、「緊急事態宣言」の発出・延長・解除には、数値的根拠はあまり関係なく、菅首相は、都知事やメディアの圧力を受けて責任回避したい一心で「再延長」をし、今度はそれに反発する世論を見て「この辺でいいだろう」と判断して「解除」したとしか思えない。
要するに2カ月半も続いた今回の第二回「緊急事態宣言」は、科学的な根拠にもとづいた防疫政策ではなく、ポピュリズムの観点で行われたのである。情けない。
このグラフをよく見ると、解除予定だった3月7日の4日前の3月3日にPCR検査数はグンと増えており、また、次の解除期限が近づいた3月18日にも増えていることがわかる。
穿ってみれば「緊急事態宣言」を解除させたくない勢力が、意図的にPCR検査数を増やしている疑いがあるということだ。その証拠に、PCR検査数が増えた3月3日および3月18日の週には、陽性率が急激に下がっている。「濃厚接触者」や発症者が増えたからPCR検査が必然的に増えたのではないのだ。
陽性者=「感染者」を減らさないように、日本のどこか―狙い撃ちされた飲食店街や特定自治体―で、WHOが禁じている無症状のコミュニティに対する「スクリーニング的PCR検査」をやっている可能性もある。
当ブログでは何十回も言っているが、CT値も公開しない民間検査機関によるPCR検査を野放しにしている限り、一定数の陽性者≒マスメディアのいう「感染者」は出続ける。
感染症法上の2類相当指定を外し、武漢ウイルスが「死病」ではないことをきちんとアナウンスして風評被害をなくし、重症化する高齢者を一般病院が受け入れられるようにした上で、PCR検査を規制し、発症者ベースで治療するようにすること、つまり、インフルエンザ同様にしなければ、この先いつまでも足を引っ張られ続ける。
東京オリンピックを中止させ、“日本下げ”を目論む勢力が、鵜の目鷹の目でスキャンダルや危機感を演出しようと躍起になっているのが現在の日本なのだから。

BABYMETALを生んだ日本のモノづくりを考える「ニッポン哲学」のつづき。
韓国製や中国製の家電が日本市場に登場してきた1990年代以降、日本の電化製品が高機能化したのは、日本人が持つモノづくりの伝統だけでなく、ひとつの技術的ブレークスルーがあった。
今から37年前、1984年の日本で、未来の社会は、「電球1個、壁パネル1枚」に至るまで、日常生活のあらゆる分野にコンピュータが入り込み、人間と関わりを持つようになると予想し、様々な機器に組み込むマイクロ・コンピュータ・チップ(ITRON)と、それらの機器をパーソナルレベルで制御するパソコンOSの(BTRON)、さらにネットワークにつながったパソコンを統合するメインフレーム(MTRON)という壮大な電脳社会システムを構想したのが、坂村健氏(当時33歳、東大理学部情報科学科助手)を中心とするTRONプロジェクトだった。
TRONとは、The Realtime Operating systems Nucleusの略であり、「電脳強化環境の実現こそがTRONの目標」とされ、「どこでもコンピュータ」や「ユビキタス社会」といったキャッチコピーが使われた。
当時、日本の名目GDPは世界第2位で、現在16兆3530億ドル(2019年)もの開きになっているアメリカとの差は、1980年にはわずか1兆7520億ドルに過ぎず、未来の世界は日本が主導するだろうと予測されていた。
しかし、レーガン大統領は「強いアメリカ」をスローガンに、日米貿易不均衡を政治問題化し、特に当時日本が世界No.1シェアだった半導体やスーパーコンピュータ、航空宇宙産業などのハイテク分野において、スーパー301条の適用をちらつかせて日本製品を排斥した。(日米ハイテク摩擦)
1985年にはG5の「プラザ合意」で、円安の是正(=円高誘導による日本の輸出に対する抑制)が行われ、1986年には、日本政府は「日本製半導体の輸出を自ら規制し、国内のユーザーに対して米国製半導体の活用を奨励すること」という屈辱的な「日米半導体協定」を結ばされ、さらに1987年には、アメリカは日本製パソコンとカラーテレビをダンピング(不当廉売)に認定し、100%の制裁関税を課した。
こうして、日本の半導体産業は潰され、国産パソコンも、車で言えばいわばエンジンにあたるCPUに米国製品を使わなくてはならなくなった。
CPU、OSともオリジナル設計のTRONプロジェクトはとん挫し、国産パソコンもインテル社のCPU、マイクロソフト社のOSを使うのが「デファクト・スダンタード」(事実上の標準)となった。
それでも、1990年代には日本でビジネス用パソコンのトップシェアだったのはNECで、同じMS-DOSでもIBM系のDOS-VとNECのMS-DOSは仕様が異なっていた。NECの98シリーズには、ワープロソフトの「一太郎」やデータベースソフトの「桐」など豊富な国産ソフトがあった。
アップルのマッキントッシュは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てきたように、小さな白い箱の形をしたおもちゃのようなものだったが、マウスで操作するWYSIWYG(What You See Is What You Get)と呼ばれるグラフィカルなユーザーインターフェイスをベースにしていたため、デザインやDTP、DTMといったクリエイティブなジャンルで使われていた。
やがてCPUが32ビット→64ビットと進化し、マイクロソフトのOSはMacと同じようにマウスで操作するグラフィカルなWindowsとなり、インターネット常時接続が当たり前になり、いつのまにかNECとDOS-Vの区別はなくなった。
同時に、国産ソフトに代わって、マイクロソフトのWord、Excel、Power Pointといったソフトが「標準」となった。
今、これを書いているのもWordだし、Excelの関数やマクロを使ったデータベースなしでは、BABYMETALの統計分析も、武漢ウイルスのデータ分析もできない。もちろん、ネットがなければブログをアップすることもできない。
こうして、かつて日本主導で「どこでもコンピュータ」の未来社会を構想したTRONプロジェクトは、跡形もなくなったように見える。
しかし、TRONは生き残っていた。そして今また脚光を浴びている。
あらゆる機器をインターネットによって制御する社会構想、いわゆるIoT(Internet of Things)がそれである。
前述したように、2000年代以降、日本製の家電、炊飯器・洗濯機・エアコン・照明・AV機器・カメラ・ゲーム機などが高機能・多機能化したのは、組み込まれたマイコンでプログラム制御されているからである。その標準OSこそ、TRONなのである。
そして、IoTの鍵となるのが、さまざまな機器に組み込まれたマイコンがバラバラな仕様ではなく、統一的に制御できることである。TRONはIoT時代の「デファクト・スタンダード」になっている。
例えば2017年に発売された任天堂Switchのコントローラー「Joy Con」にはμITRON4.0が、セイコーエプソンが2008年に発売したプリンター「カラリオEP-901F」には、eT-Kernel Multi-Core EditionといったTRON系のOSが組み込まれており、手元のパソコンやスマートフォンからコントロールできる。
1980年代後半、アメリカによって潰されたかに見えたTRONが生き残ったのは、なぜか。
それは、アメリカ製のパソコンOSと違って、家電などに組み込むTRONのOSは、オープンソースコードとして、原則として無償で配布されたからである。
しかもTRONのライセンスであるT-Licenseは、フリーソフトの標準ライセンスであるGPL(GNU General Public License)や、BSD(Berkley Software License)より緩いとされる。
TRON-OSのオープンソースをもとに作られた派生物=商品自体のソースコードは、作者や会社がオープンにする義務はなく、一部または全部を非公開にすることもできる。これによって、同じオープンソースを使っていても、「どう利用したか」のノウハウを企業秘密にすることができるのである。
さらに、オリジナルTRONのソースコードに改変を加えたものを再配布することも可能である。
TRON系OSの仕様書やT-Licenseの原著作権者はTRONフォーラムないし坂村健氏であるが、それを利用して各社が作った商品に対する「使用料」は取らない―。
なぜか。
坂村氏が目指すのは、人類がより自由に快適に暮らす社会の実現であり、「金儲け」ではないからだ。
もし、今や世界中のマイコン家電の多くに搭載されているTRON系OSのすべてに課金していたら、坂村氏はマイクロソフト創業者のビル・ゲイツのような大金持ちになっていただろう。
そうしなかったことを「大損」ととらえるか、「素晴らしい」と思うかは自由だ。
だが、ぼくはこういう坂村氏の姿勢を、いかにも日本人らしいと思う。
多くの日本人は、巨万の富を得ること、機会を逃さず、がめつくお金を儲けることを人生の目標だとは考えない。人に迷惑をかけずに暮らし、子どもたちを自立するまで育てられるのに十分なお金を得られれば、それでいい。
お金を得ることそのものより、自分が働くことで世の中が良くなり、家族が幸せになることに価値を見出す。周りの人々が笑顔なら、働きづめの人生でも幸せを感じる。
歴史的にも、日本では、天皇、貴族・武士階級から庶民まで、質素であることが美徳だった。
『古事記』『日本書記』に見える第16代仁徳天皇の「民のかまど」の逸話は有名である。
仁徳天皇は即位後、高台に登って国を見渡された所、民家のかまどに煙が立っていないことに気づき、「これは民が貧しいからである。3年間の徴税を禁止する」と仰せになり、免税を行われた。
これによって、皇室の財政は窮乏し、皇居の屋根を葺き直すこともできなくなったが、天皇は意に介さなかった。3年後、もう一度高台に登った仁徳天皇は、民家に炊煙が登っているのをご覧になり、「我は富んだ。素晴らしい」とおっしゃり、「まつりごとの基本は民。民が富まねば天子である私も富んだ事にはならぬ」と仰せになったという。以降、天皇家は質素を尊ぶのが伝統となっている。
また、和歌・俳句、茶道、禅といった日本の伝統的な「美」の価値基準となっている「侘び・寂び」の精神とは、物質的に乏しい暮らしの中に安らぎを見出し、古びて枯れた文物や風景に趣(おもむき)や美しさを感じる感性のことである。
要するにお金や権力に任せて、ド派手な格好をし、これ見よがしにふるまう態度は、日本では「下品」とされるのである。平安時代の藤原道長や安土桃山時代の豊臣秀吉、元禄時代の「お大尽」が目立つのは、それが「下品」であり、没落の原因だったという批判的文脈においてである。
お金や権力の代わりに、日本人が最も大切だと考えるのは、名誉である。
私利私欲を満たすのではなく、自己犠牲的に周りを幸せにすることを尊ぶ。それはサムライ・スピリット=武士道の精神でもある。
だからこそ、日本人は、たとえ一見質素な暮らしをしていても、若い頃から苦労して修行し、技術や知見を身に着け、一廉の職業人となっても、日々向上することを目指して働く人に、「〇〇師」「〇〇士」「〇〇家」という尊称をつけて呼ぶのだ。
欧米にも、Noblesse Oblige(高貴な者の社会的義務)といって、貴族や大金持ちは社会貢献しなければならないという倫理観がある。ビル・ゲイツがビル&メリンダ財団をつくって、社会活動しているのもその一例である。
だが、それなら最初から大金持ちになることを目指さず、自分が作った「良いもの」を無償で、あるいは安価に世の中に提供してしまうという生き方の方がはるかに高潔ではないか。
恩恵を施す者が富の配分を決めることで「権力」が発生し、その恩恵を受ける者が「感謝」を捧げるという一種の身分格差が生じ、社会風潮としての拝金主義が横行するからである。
坂村健氏の構想したTRONプロジェクトが、大儲けのしくみではなく、IoT時代のデファクトスタンダードになったのは、そういう日本人らしい高潔さに由来するのではないか。坂村氏がはっきりそう言っているかどうかは知らないが、ぼくはそう考える。
2000年前後のIT起業ブーム以降、日本は「セレブ」をうらやましがる社会になっている。
2010年代にGDPを逆転されてから、中国市場や、中国企業の直接投資や、中国人旅行者の「インバウンド」を当てにする企業もそうだ。
それは、世界に類を見ない高潔な社会を築いてきた、素晴らしいニッポン哲学を自ら否定することだとぼくは思う。
(つづく)