テレビの報道を見ていると色々な人が出てきて、色々な意見を言っていますが、どれも対処療法的な意見ばかりで体質改善的な意見は見受けられません。


対処療法的な方法では、学校でのいじめや学生の自殺者は減っても社会人になってからも同じ問題が出て来ます。
それは「自分に非が無い事に対する自分の非」を自覚する事無く社会へ出て行くからです。

いじめの根本的な解決は「自分が変わらなければ何も変わらない」という事なのです。


この「いじめ」と言う問題は、単に「いじめ」だけでなく「自殺」「ニート」「ヒッキー」などの問題と原因を同じくしていると思われます。
その原因とは「精神未成熟」で、この精神未成熟を生み出しているのが「過保護」と「弱者救済体質」なのです。


今の世論では「いじめた側」が悪いと言う風潮があります。
確かに、いじめる側に非があり、いじめられる側は被害者である事には変わりありませんが、「いじめた側」だけを罰して「いじめられた側」の問題を、「被害者」と言う理由で見過ごしてしまえば、精神的虚弱体質に成長していく可能性が高くなります。

その代表的な物が「被害妄想的思考形態」です。


いじめた側の処分だけを行う事は、在学中の「いじめ」は減少するかもしれませんが、社会に出てからは誰も助けてくれません。
いじめの問題は、学校だけの問題ではなく社会人になってからの事も視野に入れなければ、問題を先送りするだけです。


全ての「いじめ体験者」がこの様に進展していく訳ではありません、その分岐点が「自分が変わる事」なのです。




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