菅総理の自助、共助、公助発言の「自助」を問題視する発言が目に付く。

 

先ほどTVニュースを見ていたら、公助こそ必要と言うような意見を言っていた。

 

しかし、そうした言い方だと何の公助も無い様な言い方に聞こえるが、政府は給付金やら支援金やらやっている。

完成もしてないワクチンの確保もやっているし、病床の確保もやっている。

 

そこには我々一般人の想像も及ばない現場の苦労もあっただろう。

 

それは公助ではないのか?

 

マスコミとかコメンテーターの言う公助とは何だろう?

 

詰まる所、もっと金を出せって事か?

 

給付金や支援金は貰うと確かに嬉しいが、同時に心配になるのが財源だ。

給付金や支援金の財源は、いったい何処から出ているのだろう?

 

国債で賄うのか、増税で補うのか? それとも紙幣増刷で切り抜けるのか?

 

消費税の減税にしても、下げたら上げなくてはならないだろう。

コロナの景気対策として消費税の減税を主張する人は、下げた物を上げる時の事まで考えているのだろうか?

一時的に下げた消費税でも、再び上げる時は増税と変わらず、経済の混迷を招く。

 

結局、公助のツケは国民に帰って来る事になる。

 

私は基本的には自分の身は自分で守るのが基本だと思う。

そして、自分の力が及ばない所に共助や公助の手が差し伸べられれば良いと思う。

 

戦後の焼け野原から復興を遂げた時に、公助があっただろうか?

戦後の復興は主に自助と僅かな共助でなされており、公助は常に後手に回り、自助を怠り公助を待っていたら手遅れになる。

 

それは災害時も同じだ。

 

先ずは自分が助かろうと逃げねば助かる物も助からない。

共助や公助はその後の事だろうに。