東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長の森喜朗の発言が色々と言われている。

 

私の正直な感想は「思った事を口にしてしまう噓の付けない人」なのだろう。

 

問題とされている「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と言う発言だが、男性の抱く女性像の一つに「お喋り」があり、「女性はよく喋る」と言ったイメージがある。

 

そうしたイメージからすると、「女性が多い会議は時間がかかる」と思えなくもない。

 

しかし、それは思っていても口にすべきではないと思う。

 

私がこの問題で思う事は、それは果たして差別なのか?と言う点である。

 

お喋りなのは女性の特性であって、その特性を口にしたら差別になるのだろうか?

 

特性などと言う物は、ある時は長所になり、ある時は短所にもなる。

 

会議時間の短縮と言う意味では短所になるが、納得いく迄話し合うと言う意味では長所になる。

 

どちらに主眼を置くかで是にもなれば非にもなる。

 

 

この発言も言葉を変えれば「あるある」と思う人も多いのではないだろうか?

 

「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」

 

それって「マウンティング女子」を指しているのでは?

 

私は、女性の比率が高くなればマウンティングする女性の存在も考慮すべきだと思う。

 

私がまだ20代の頃に、女性ばかりの職場の責任者だった頃、女性同士の間で起きるマウンティングを如何に抑えるかに苦心した覚えがある。

 

あれは嫌われるのを覚悟で早いうちに芽を摘み取って置かないと手に負えなくなる。

その為には、常に部下の表情や態度の変化を気を配り、漏れ聞こえて来る話に耳を傾け現状を把握する必要がある。

 

そして、誰かに注意するのではなく、全体の方針として対策を練り、事前に打ち出して行く。

 

その意味からすると「女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困ると言っておられた。」の発言は、一つの打開策としては正解だと思う。

 

但し、これも公の場で口にすべき事ではないし、口にしたら反発される。

 

本来の意図は口にせず、単に会議時間短縮の為の規制とだけ言っていれば波風は立たなかっただろう。

 

そこに「女性」を理由に出すから差別と受け取られ反発される。

敢えて言うなら、マウント行為が自分に向けられる羽目になる。

 

女性のマウントは周囲を味方に付けて数の力で攻めようとする傾向があるので、下手に同調すればマウントの片棒を担ぐ事になりかねない。

 

森さんは、そこまで気を回せない人だから、短期政権で終わったのだろう。

 

こうしたポロッと本音が出てしまう人は、世論では叩かれてはいるが、根は正直で良い人なのだと思う。