森喜朗氏の発言で騒動になった男女差別の問題だが、何でもかんでも平等とかは違うと思うので、持論を書きたいと思う。

 

男女平等を考えるのなら、先ずは男女の違いから考えなければならないと思う。

今の世の中、男女の違い=差別と捉える人もいるので何かと厄介だ。

 

私は真の男女平等とは、男女の特質を理解した上で、互いに特質を認めて尊重する事だと思う。

 

その特質の違いで最も重要なのは、脳の構造の違いだと思う。

 

女性の脳は右脳と左脳を結ぶ神経が男性より太く、右脳と左脳の間で多くの情報が行き来するのに対し、男性は右脳と左脳間の情報の行き来は少ない。

 

故に女性は細かい事に気付き易いのに対し、男性は大雑把。

 

女性は細かな事に気付きやすい反面、情報量が多くなると脳が処理しきれなくなり脳はパニックを起こす。

逆に男性は元々情報量が制限されている為、脳がパニックを起こし難い。

 

その男女の違いはお互いの長所でもあり短所でもある。

 

お互いの長所を生かし短所を補うのが真の平等だと私は考える。

 

女性の脳の特質からすると、女性は限定的な限られた情報量の中で力を発揮するが、異なる多くの情報を同時処理するような事には向かない。

 

例えば、異論もあるだろうが車の運転で、女性は周囲の確認や状況判断に難がある人を多く見かける。

 

誤解の無いよう付け加えるなら、全ての女性に難があると言っている訳では無い。

女性でも出来る人は出来るし、男性でも出来ない人は出来ない。

 

比率の問題である。

 

この特性からすると、女性は一つの部署をまとめるのには向いているが、多岐に渡る部署をまとめるには向いていない。

 

少し話は変わるが、女性は男性より腕力が劣ると言われるが、私は然程劣っていないと思っている。

 

そう考える様になったのは、大学時代の彼女の存在が大きい。

ウエスト58で私の太ももより細いウエストの彼女が、柔道で鍛えていた私と腕相撲で苦戦を強いられたのだ。

 

鍛えていない男性なら軽く勝てる程の腕力だったが、ムキムキと言う訳でもなく普通の女の子だった。

 

彼女は高校までバレーボールをしていたとか。

 

鍛えれば女性でもこれほどの力を出せる事を初めて知った。

 

私の娘も結構な力を出す。

 

故に、私の中では力仕事=男の仕事と言う感覚は薄く、女でも鍛えれば力仕事は可能だと思っている。

 

さて、この男女の力だが、男女で同じトレーニングをすれば、やはり女は男には勝てないので、男女混合で腕相撲大会をすればTOPは男という事になるだろう。

 

しかし、トレーニングをした女性なら遊び惚けている男性には勝てるだろう。

そして、遊び惚けている男と女なら男が勝つだろう。

 

これが女性の特性に有利な世界なら話が逆転する

 

役職の世界も同じだと私は思う。

 

女性の特性に向いている役職なら女性が有利だし、男性の特性に向いている役職なら男性が有利になると思う。

 

問題は、その役職の特性だ。

上の役職になればなる程、情報は多岐に渡り女性に不利になる。

 

女性に不利な役職に女性と言うだけで就いたなら、多大なストレスに襲われるだろう。

 

それが真の平等になるのか、私は甚だ疑問だ。

但し、それだけの能力を有しているのであれば、女性であろうと問題は無いと思う。

 

こうした役職などの男女差別の背景に、役職差別がある様に思う。

 

上の役職は偉いと思っているからこその話の様に思える。

 

会社で言うなら、部長は偉いとか社長は偉いとか。

 

しかし、役職などは役目や立場が違うだけの事で、本来平等の筈だ。

 

労働者は会社に対して労働を提供し、会社は労働に対して対価を支払っているに過ぎず、本来は対等な筈だ。

 

しかし、会社とか経営者は「金を払ってやっているんだ」「雇ってやっているんだ」と思っていたりする。

労働者は「クビになったら生活出来ない」とか「会社を辞めても他に雇ってくれる所があるのか」の思いがある。

 

そして、使われるより使う立場に憧れを持ち、少しでも給料を上げたいと願い社畜と化して行く。

 

そうした意識から、上の役職は偉いとの認識が生まれる。

 

しかし、私は思うのだ。

 

役職などに捕らわれず、好きな仕事、適正や能力に見合った仕事を伸び伸びとしていた方が幸せではないのか?

 

その方が、背伸びをしてストレスを抱えるより余程マシだと思う。

 

今のバイト先でも社長から社長やってくれないかとの話もあったが、お断りしている。

 

そんな面倒な事はしたくないし、従業員への責任も無く好きな時に休んで気楽に仕事していた方が良い。

 

逆に言えば、社長はそうした責任を負うので取り分も多い訳だ。

私は金とか肩書より、自由な時間を選ぶ。

 

 

私の考える真の男女平等とは、役職に捕らわれず男性も女性も伸び伸びと働ける社会であって、役職に占める男女の比率ではない。

 

伸び伸びと働ける社会の中で、男女問わずに資質と能力に長けた者が、その資質と能力に見合う役職に付けば良いと思う。