慣れない


母が居なくなって2週間

まだ全く実感がわかない。

わきたくもないけど。

今日は復職の為に仕事先に行ってきた。

久しぶりに行った職場

頼りにしていたパートさんが、タイミングよく出てきてた。
信頼してる大切な人達。

頼りになる人達

母との時間の中で色んな事を学んだ。

母は人嫌いかと思ってた。

違ってた。

看護師さんや看護士さんと世話をしてくれる人の名前を見て名前を呼んでいた。

気にかけてくれた若い看護士さん
O君とSちゃん。

最後まで夜勤の合間に会いに来てくれた。
O君には本当にお世話になった。
主治医の説明不足や私の??に付き合ってれた。
看護士のO君は、私達の途方に暮れた状態をいち早く察知してくれたし、主治医の先生の今まで見て感じてた不信感をわかってくれた。
やはり同じようにしてた家族がいたとのこの。
母の病気は特殊で希に見ない病気だったので先生も色んな先生に相談してたって看護師さんがいってた。

だから説明できなかったんだね。
でもさ、亡くなってすぐに解剖させてって
速攻で来たよね…それからの説明も
感染症だの、膿疱が出来てたの、肺が壊死してたの、気胸が治らなかったの、あんまり説明上手じゃないよね。

説明不足でわかんないづくしで、東大病院の先生に聞いてやっと繋がった母の病気だった。

あの強い母があっけなく2ヶ月で亡くなってしまった、この病気は組合せも悪く

全てにおいて悪だった。
なにも、こんなひどくしなくてもいいのに。

悪の組合せ。

膠原病の皮膚筋炎
それも皮膚のみの赤い発疹

だるさと暫くしてから発熱

急激に悪くなった肺。

間質性肺炎急性増悪

DAD

ひどいもんだよ。


解剖したから年明けに説明あるとのこと。

母を苦しめた病気
母の身体がどうなってたか
この目で確かめる。
あんなに苦しんで気胸にまでなってドレーンも入れた。
腎臓の静脈瘤もみる。
主治医の先生に保険の手続きの手紙の中に
全て見せてくださいと書いた。
私は変なのかもしれない。

でもあんなに元気で丈夫だった人を
苦しめた病気。
どうなってたか。

私は見る

心にとめる。

享年77歳

本当は、とてもいい数字なのに。


ママぁ看病中たっぷり触らせてくれてありがとう。

そして会いたかったって言ってくれてありがとう。

言われたことない言葉だったから最初母から聞いたとき

くすぐったかったで


実家に行った時に外に出て見送ってくれるの嫌やった

強いママが、どんどん弱く感じてたの

だから見送らないで玄関でイイっていってんのに送るしさ

やたらと形見分けみたいに真珠や大切なもんを渡しまくってたり

パパとは、いつまで一緒に居れるかわからんからとかさ

病気になる前から変なこと言ってた



どこにいるのかな。


お願いだから会いたいよ。


ママぁぁ