僕がブログを書かなくなった理由 | マダオのパチスロ旅日記

マダオのパチスロ旅日記

ブログの説明を入力します。まじでだめな大人マダオのスロット旅日記

少し昔の話をしよう。27歳で夢なり現実なり何なりに負けた俺は東京から地元に戻った。地元に戻った俺はまあくそつまらない生活を送っていた。その時からスロットで勝てていて金はあったのだが実家で親の目もありそれだけの為に働く日々。


何もかもがくそつまらなくて死にそうだった。だけどこれが普通の生活だからと親の目と自分を納得させてくそつまらない生活を2年送っていた。



何の生産性も産み出さないただ義務づけられた労働。スロット打ってた方がよっぽど金になるやと思いながらも義務の為に俺は時給800円で働いていた。あの頃は休みの日が待ち遠しくて待ち遠しくてね。


スロット打ってる時だけが唯一生きてる心地がしたのだ。それ以外の生活はまるで生きる屍



2年そんな生活をしていた俺はついに爆発した。こんな死んだような生活しているなら義務を放棄して自由に生きた方が遥かにましだ。それから俺は専業になった。29の春の時


それから一年しないくらい実家で専業やっていてこれまた親の目のうざさや旅うちしたい願望が出て来て俺は旅うちに出かけたわけだ。このブログをスタートさせたのもその時


あの頃は刺激に満ちていた。ブログを書くにしてもだ。まだ名もなきブログでは何も気にせず好きな事を書けた。ブログを書いていて純粋に楽しかった。


コメントをもらうと嬉しくてどんな人がどんなブログを書いてるんだろうと積極的に絡みに行っていた


それから俺のブログのアクセスは飛躍的に伸びて行った。いつしかマダオの名前はアメブロで知れわたり俺も調子にのった



言い訳するようだが毎日何万のアクセスがあってマダオさんマダオさんと言い寄られたら調子に乗る。何の取り柄もないただスロットしか脳がない無職のおっさんだと尚更だ


あれ?俺ってもしかして凄い?と勘違いしてしまうのだ。それがいくらアメブロと言う小さなネットの世界だとしても




それから俺はブログを書こうじゃなくてブログを書いてやろうになった。そしていつしかマダオの名の元に面白いブログを書かなければとプレッシャーになりブログを書くのが義務づけられたのだ


義務づけられたら面白いブログなんて書けやしない。書いている本人もつまらない。これではもはや27歳の時に東京から地元に戻った心境の時とまったく同じではないか。





さてとそろそろおちが見つからないのこれくらいにしておくか。久しぶりにブログを書いたが俺もだいぶなまったなぁー