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うちはこのあと、耳鼻科に行ってたのですが、最近リィさんのことで出かけたりで肺がしんどくなることも増え、いざとなったら手伝ってくれるコゥには行くことを伝えましたが、リィには言ってなかった。


リィさんには耳鼻科行きしに、耳鼻科行ってること、明日の学校の準備でわからないことがあったら帰ったら一緒にやろうとLINEしましたが、既読つかず。


帰って話し掛けたら、LINEはスマホの容量がいっぱいで通知が来なかったらしい。だけどスマホ触ってた。


「ママ〜部屋で何もないところで転けた。骨にヒビ入ったかも。病院に連れてって」って言われたけど、多分ぐねったけど湿布貼るか聞いたが嫌がった。


病院と簡単に言うがもう小児科も行けない年齢。普段熱も出ない。年齢的に成人だから、どこに行くにもまずかかりつけを探さないといけない。


しかも、もう時間は18時過ぎ。


そのあとご飯を食べて寝たので大丈夫だと思った。


しかし、うちが冷たいと思ったようで学校のこと話しかけてこなかった。


今日は昼からオリエンテーションがあります。


健康チェックシート、油性ペン、卒業証明書原本がいることは共有したが。


チェックシートをちゃんと書いたかとかは聞いてない。


最近ちゃんと朝7時近くに自分から起きているから確認しよう。 


昨日リィの不安は学校に伝えたからリィがちゃんと担任に気持ちを伝えられるかになってくる。


担任は親世代の男性のシェフの方。しかし、異性なので心を開いてくれるか心配はされていて。リィは人間観察する力が鋭いので、話していて尊敬できる人は信頼できるが、優しい女性の先生だと安心感があるということは伝えました。


教務部の女性の先生にオープンキャンパスの時に特性の話しをしたのだが、顔色一つ変えず聴いていただきリィはお気に入りですが、教科を教える先生ではないため無理強いはできないので言いませんでした。


障害者当事者で境界知能以上の知能を持っているうちや子どもたち。


これぐらいの知能のある当事者の願いはその年齢の一般の人と変わらない生活がしたい。特性を個性として捉えて接して欲しいが本音なんじゃないでしょうか。


世間では発達障害=空気が読めない。理解力がない。想像力が足りない。自分の考えがない。またはこだわりがキツい。0か100思考。五感の中で過敏なところがある。

ADHDなら多動、不注意が多い。

学習障害なら計算ができない、読めない、書けない。


みたいなイメージだと思う。


それについてはほとんどの方がそうなのですが、うちはそれを踏まえた上で子どもたちが適応できるように認知のズレなどを教えてきたし、自分も一般の捉え方に合わせる努力やその中で自分の個性は大事にしてきた。


リィさんは8年間健常者とガッツリ関わってないため社会性の乏しさや元々の特性による理解力の乏しさ、マルチタスクの苦手さ、道具を使う苦手さ、コミュニケーションの苦手さ、味覚過敏、こだわり、マイナスな経験からの自己肯定感の低さはある。


多様性を認めようと社会的にはなってきているが、発達障害者に対して健常者が受容できるかはその人の生きてきた環境、人間性によるのでは?


障害者のあまりに空気が読めなかったり、人を傷つける発言に健常者が精神的にまいることもある。パワハラやモラハラやDVと取られることをされる場合。これは加害者がアスペルガーの人に多い。社会的地位のあるアスペルガーの人に当たると被害者は悲惨だ。


障害者の親も当事者も認知のズレを知り、まずある程度適応できる努力はするべきだし、自信つけるために経験をたくさんするべき。失敗してもまた頑張れる方法を模索するべき。人に流されず自分をしっかり持つべき。


健常者も発達障害者は発達の凸凹があるが凸の部分を認めてあげるべき。


本当にうちらの障害は大人社会ではまだまだ認められてない。特にADHDや学習障害の人はコミュ力があればまだ生きられるが、自閉症スペクトラムの人は生きにくい。まず大人の発達障害を診れる医師が少ない。


障害者雇用も社会的に言われてるから枠入れようとか、ほんま自分である程度考えられる当事者から見たら嫌だなと思う。マルチタスクは苦手だが、健常者にはない才能はあるのに、固定給は安い。


リィさんが学校の先生に上手く自分の本音を言えるかわかりませんが、頑張って学校行けるようにサポートしていきます。