哲学には「無知の知」という言葉がありますが、
だからといって何を言っても良いとは思いません。
なのですが、
1人で悩んでいてもキリがないのであれば、広大なネットの世界に頼りたくなってしまうのが人の心とでもいうのでしょうか。
一言で言えば、甘えです。
併せて、すいません。
というわけで、本題↓
0 = 0 +0 = +0 -0 = -0 +0 = -0
+ = -
0 x 0 = 0 / 0 (0/0は無いとされていますが)
x = /
↓
+ = - = x = /
0+0-0x0/0+0+0+0+0+・・・・・・・・・・+0 = 0+0+・・・・・・+0
↓
0 = + = - = x = /
以上。
まぁ、上記のことからわかることといえば、
・・・ゼロって何でもアリやな、ってことくらいですが(苦笑)。
地球上で、宇宙上で、
ゼロって状態はあるんでしょうか。
何も無い、という状態。
真空というのは、なんとなく、何も無い感じだな~って思うけれど、
何も無い空間が在る・・・っていうのはダメかな?
(ダメとか、そういう問題以前だとは思うけど 苦笑)
まぁ、ともかく、
「何も無い状態」というのが無いと思うんですよ。
んー、無いっていうか、まだ見つけれてない気がする。
・・・もしかして、在るのかな。
ゼロの定義というのは、おそらく共通のものだと思うんです(おそらく)。
では、1や2は?
例えば、林檎が1つあったとして、
それを真っ二つに割ったら、
各々は一体、何になるのだろうか?
1/2? 1?
元々の林檎の1と、半分になった林檎の1は、まぁ、違いますよね。
見た目は明らかに違うでしょう。
でも、分数という概念が無ければ、もしかして、どちらも1・・・?
だからこそ、分数が生まれたと思いますが。
(その辺は、数学の進歩の成せる業だと思います)
絶対数字だったっけ。
そういった誤解(というか、僕が言ってるのは屁理屈だろうけど)を避けるために、
思考上、揺るぎのない1、誰から見ても1、という数字のことを絶対数字って定義してたはず。
(「絶対数字」っていう言葉は間違えているかもしれません)
それで、
僕なんかはひねくれ者ですから、
「てことはさ、わざわざ定義するってことはさ、実は、完全な1や2って無いんじゃないの?」
って思ったわけです。
無理数と言われてる π や e とかの方が揺るぎのない数字なんじゃないか、と。
(πなんてさぁ、適当な数字と掛け合わせたら綺麗な円になるって、エレガントじゃないか!)
(eなんて、商売する上で欠かせないっしょ!)
πやeというのは、記述する上で記号にしておいた方が都合が良いというだけのことで、
延々と書き続けることは可能なはずだし。
なんだか、僕は、そういう数字の方が信頼置ける気がしました。
そうすると、ゼロがとても偉大な数字に思えてきますね。凄い。
(アバウトな感覚でこんな記事をUPしちゃう自分もある意味・・・爆。いや、無知なだけだよ、自分)
僕のイメージだと、あくまで僕のイメージだけれど、
1とか2とかの数字が信頼出来ないって、なんだか裏切られた気分。
いやいや、それはあくまで主観でしょ。
数字は裏切らないのだ。
そう、
数字の世界にも、主観と客観が存在してると思うんです。
主観的なのは、林檎の例え話。
客観的なのは、絶対数字。
僕が、主観と客観という言葉を連ねて思い浮かぶ言葉は、
「精神」
心です。
うん、やっぱり僕は
「科学で心は語れるか」
という問いに対しては、YESって答えます。
しっかりと統計を取って基準となり得るモデルを作れたら、不可能ではないと思う。
ただ、
その、モデルを定める作業がとてつもなく大変なだけだと思う。
(それが不可能に近いのだろう、と)
こんな話しをしたからって、僕の頭の中で
数字 = 科学
っていう風になってるわけじゃない・・・と思いたい。
数字や数式というのは、地球上(というか宇宙上)で最もぶれない共通言語で、
数学というか、算数というか、数字というか、
人間が数字を発見する前から、数字は既に在り(と、伝え聞きました)、
しかも、元々、数字には心が宿っている、という考えです。
かなり強引に話を持っていって記事にしましたけど、
このような事を考えているのでありました。