「鶏が先か、卵が先か」という因果性のジレンマは


平たく言えば「ニワトリとタマゴのどちらが先にできたのか」という問題である。


昔の哲学者にとってこの疑問は


生命とこの世界全体がどのように始まったのかという疑問に行き着くものだった。


教養的な文脈で「鶏が先か、卵が先か」と述べるとき


それは互いに循環する原因と結果の端緒を同定しようとする無益さを指摘しているのである。


その 観点には、この問いが持つ最も根源的な性質が横たわっている。


文字通りの解答はある意味明白であり


初めて鶏の卵を産んだ鶏以外の一個体(またはその卵の 父親を含む二個体)が鶏の存在を規定したと言える。


しかしメタファーとしての視点に立つと、この問いはジレンマにつながる問題をはらんでいる。


そのメタファーとしての意味をよりよく理解するために、問いは次のように言い換えることができる。


「X が Y 無しに生じ得ず、Y が X 無しに生じ得ない場合、最初に生じたのはどちらだろうか?」


なんてむかしむかしの偉い人たちはいろいろ考えてたんだろうなーと思いをはせながら


わたしの手からすべり落ちた卵さんがお気に入りのキッチンマットの上で


スイカ割りをしたように豪快に飛び散ったときの気持ち


「 卍 解 ! 」


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