ずっと温めていた(?)文章をようやくUP致します。。(;´▽`A``


この11月3日・4日で、またも次男と一緒に旅に出かけてきた。

新車のタンちゃんの初長距離走行だ!

「紅葉がみたい!」と言い出した私。

行き先は隣県の候補の中から、何故か隣の隣の県まで足を伸ばすことになり、

次男の希望で、宮城県の鳴子温泉卿に行くことになった。


出かける用意をして、朝方出発予定だったが、

2人共“お寝坊”さんなので、本格的に眠らずに先に3時頃から磐越自動車道に入り、

パーキングで仮眠を取ってから宮城県に向かうことにした。


次男は車を持っていないが、時々私の「運転手」として出かけることがあり、

GWには長野へ殆ど1人で運転していく位の腕にはなっていた。


だが、あえて今度は1人で一気に運転しないで、交代しながら行こうと言った。

事故防止と、最後の最後の疲れたところで私に運転交代はしんどいからだ。


ずっと普通車を運転しなれていると、いかに高速で軽自動車を運転するのは大変かわかる。

最初の加速が大変なのと、車体が軽いため安定走行に気を使うからだ。

トンネル続きのため疲れ気味で、また途中大型トラックの嫌がらせにあったりしながら、

(会社に属していたら、苦情電話してやろうかと思ったけど、どうも個人経営みたいなトラックだった!!(#`ε´#)おのれ~! )

東北自動車道に入り、宮城県へ入った。


次男が「被災地」を一度見てみたい・・・と言ったので、

急遽、途中白石で降りて、岩沼方面に向かった。


2011.3.11の東日本大震災以降、初めての宮城県だった。

福島県は直後のGWで喜多方に寄ったことがあったが、

GWにもかかわらず、あまりにも人が少なくて驚きだった。

そして今回の旅でも、意外と県外ナンバーの車が少ないのが気になった。

まだまだ震災の影響があるのだろうか?


海岸方向にナビを設定し向かった。

向かうにつれて、住宅街に新しいアパートが目立つようになってきた。

多分、家を失った人たちが沢山住んでいるでは、と想像する。


TVでも報道されていた、津波の被害の境目にもなった高速道路の下をくぐって行った。

徐々に家の数が減り、

田んぼの中に立つ家々の様子が変わってきたのが、目に見えてわかるようになってきた。

風除けの木がたくさんあるところは、かろうじて家が残っていたりするが、

「あの日」はいったいどんな様子だったのか?

まるでもともと全て広大な農地だったように、すっかり整地されている。


そして被害にあったであろう家を、完全に復旧して、

被害にあったのが分からない位にして暮らしている家と、

住む人が居なくて、ベニヤが玄関や窓に打ち付けられている家や、

外壁だけが残ったアパートなどが、同じ地域に混在していた。


同じような集落があちこちに・・・。


そんな中、黒御影石の墓が立ち並ぶ墓地が、ところどころにあるのが目に入った。

倒れた墓石を修復したのか?新たに建てたのか?

隣に建つ寺は、無残にも破壊されていた。


がれきが撤去されて、平に整地された被災地の中を走る道、

今も災害復旧のためのダンプカーが何台も走っていた。

一般車は殆ど見ることがなかった。


海のほうは進入禁止で行くことができなかったが、

大きな堤防を作っているのが遠くに見えた。

津波の威力が、ところどころでまだ残る恐ろしくひしゃげたガードレールからも想像できた。


仙台空港に寄った。

震災の時、津波の被害を受け、何度も映像で見た、あの仙台空港。

見事に復旧していて、そこには活気があった。

どこよりも先に復旧したらしいが、

その様子がパネルで展示されていた。

それを見ながら、1階はすべて浸水したのが理解できた。

空港の隣には駅があり、2階の搭乗口と通じている。

そして線路が走る高架橋がずっと延びている。

公共施設における規模がやっぱり我県と違う気がした。


お昼になり、仙台と言ったら、やっぱり「牛タン」でしょう!?

で、近くにあるうまいと有名な某牛タン店を、スマホで探し、向かう。

(何て便利!スマホとナビがあればどこへでも行けるのだ!!)


駐車場は満員。

地元の車ばかりだった。

15分待ちだったが、美味しい牛タンランチにありつくことができた。


目標一つ達成した。


ようやく目的地の鳴子に向かおうと次男の運転で走り、寝不足の私は助手席でつい寝てしまった。

気がついたら松島で、日も暮れ始め、道路は大渋滞になっていた。




②に続く


写真は後でUPします。