手取川で圧勝した上杉軍ですが、その一番の理由が今回upするお城



松任城



畠山氏の援軍として進撃していた柴田勝家率いる織田軍は、上杉軍が既に七尾城を落とし、松任城まで進軍していたのを知らずに手取川を渡ってました。


渡河後に目と鼻の先にある松任城まで上杉軍が来ていた事に焦った柴田勝家が撤退する際、手取川が増水していた事もあり、追撃してきた上杉軍にこっ酷くやられたのがこの合戦場の顛末です。



松任城は現在松任城址公園となっており、松任駅から5分もかからない場所にあります。



桜の名所としても有名だそうで・・・手取川河川敷同様、こちらも桜満開でした(・◇・)v



残念ながら遺構はほとんど残っておらず、堀だったと思われる場所も埋められてしまって通路になってました。



一応公園内にちょっとした高台があり、櫓台跡の石碑が残っておりました。



明らかに後付けの石垣のあった場所ももともとは堀だったと思われます。



堀も無いのに橋が・・・そもそもこの橋も後世に造られたっていうのがありありと。。。

が、ここがお城であった証明だと思えば有りがたいと思わなければ。



その橋の脇に松任城の本丸跡碑がありました。





手取川古戦場までは行かないものの、松任城も史跡が残っている方とは言い難い場所ですが、手取川古戦場から近い事もあり(手取川古戦場の最寄り駅・小舞子駅から松任駅まで3駅ですし、電車本数もそれなりにあるので)、手取川合戦として両方セットで見られるとちょっとは歴史に触れられた感覚になれるかも?ww


更に松任駅から金沢駅も3駅と近いので、意外と訪問しやすかったです。



ま、自分は柴田勝家とは違い、手取川渡って松任経由で引き返さずに金沢まで行ったわけですが。。。

※時間の都合で金沢は経由しただけで、そのまま北陸新幹線で帰ったんですが(-ω-;)


大阪へ行くのと金沢に行くのにそんなに時間に差が無い事が解って、北陸方面への散策の期待が増したカルビンでした( -ω-)/