鎌倉時代から江戸時代前半にかけて好きな武将・大名は数あれど、個人的に5指に入るお気に入りの方のうちの一人が羽柴秀長さん。


この人がいなくなってしまった為、秀吉は制御効かなくなって大暴走したのが豊臣家崩壊につながったのはまず間違い無さそうです。


今までに数多くの歴史小説読んできましたが、秀吉を悪く書くのは当たり前になってますが、秀長を悪く書く物語は一斉ありません。


書き手から見ても悪者扱いにする必要も、その感情なる事も無いんでしょう。




秀吉は自分の本拠地に近い場所に弟・秀長と丹羽長秀を大禄を与えております。。。身内以外を信用しない秀吉が、いかに2人を信用していたかが判ろうというものです。


が、その両名が没した後を継いだ子供はすぐに取り潰し・左遷転封させられました。。。秀吉が晩年、元々小心者である事を隠せなくなってしまったのが良く解るエピソードです。


年取ると人間我慢が出来なくなりますよね・・・禁止されている場所での路上喫煙者も年配者多いですし(-"-#)


自分は良い年の取り方したいと思います・・・キヲツケネバ(-Д-;)







また脱線しました(-ω-;)が、昨年そんな羽柴秀長さんが眠る奈良県大和郡山の大納言塚に行ってきました。


もちろん大和郡山城(と先日upさせて頂きましたした源九郎稲荷神社)とset訪問です。





相変わらず搦手から入ってしまうカルビン(汗)


この解説版の目の前が道路なんですが、解説版が道沿いに寄って建っている為、道路からでないと撮影難しいのですが・・・


ここ道幅狭い住宅地なのに何台も連続で車が通り、撮影させてくれません(―ω―;)


どういう場所やねんw



自分の家の傍にもそういう道ありますが、いつもなんでわざわざこの狭い道通過するかな~って思います。(ここ通る必要あるのか?ってw)

近隣住民以外通行禁止ってやっぱり必要だと思います。




今までで遠征してきた中で2本指に入る程調子悪かった(1回目は2泊3日の3日目朝から尿管結石w、この日は新幹線内で、今までで1、2を争う程きつかった目眩発生)ので、ちょっとふらつき気味でしたが・・・


現金な事に、ここに到着した頃にはすっかり回復し、以後大丈夫でした(―∀―;)ゞ


親族以外のお墓では合掌は厳禁なので、一礼

(憑かれてしまう事があるとの事なので)



秀長さんは「学問の知将」と呼ばれていて、受験生等試験を控えた人達が参拝に来られるんだそうで。

(自分は調子が戻ったことから「治癒の医将」と呼ばせて頂きたいです)



秀長さん亡き後、兄に礎を崩されたのを見てどう思われたでしょうか。。。


最終的に藤堂高虎が豊家に見切りを付けて徳川家にすり寄ったのはこの事が原因とされております。。。それまで15年同じ主君に使えていましたからね。。。でもやはり晩年のゴマスリエピソードを見ると好きまでにはなれんなw



正面から来ればいの一番に目に入る碑石ですが、やはりというか最後に発見w


やはり調子が良く無かったのか。。。。いや、これがカルビンクオリティなんでしょうw




さて、何時郡山城upするかな?www


では今回はこの辺で( ;-ω-)/