背筋が凍った南櫓門から戻り



ここも津和野城の潜在写真でよく使用されている1枚


石垣は奥がもう一段高くなっており、手前が人質曲輪、奥が三十間台になります。


主郭への分岐を登り


石垣の見える上が三十間台になります。

この場所は


山城としては非常に珍しいパティ~ンの、一段下がった場所にある天守台跡になります。


象徴としては隠れてしまって麓から見えず、また用途としても中途半端な位置っていうのは否めません。


ま、建造物が全部残っていれば、


なる程ね~


となったのかもしれませんが。。。


懲りずに見る入口の虎口

どの角度から見ても良い感じ・・・写真だと伝わり辛いのが・・・くやしいです(施設でもやっているんでしょうか、このネタ・・・)

三十間台へは左側に一旦下りて行ったのですが・・・正面に見える細い道、これ登れたんですね。。。一旦上を見学し、戻ってきて初めて知りましたww


左:三十間台の手前にある太鼓丸の虎口

右:三十間台の石垣

意外と雨風に晒されている場所の方が傷み少ないみたいですね・・不思議w



太鼓丸は通路のところは草無かったものの、曲輪部はナウシカ状態でしたw

(バッタが妙に多かったので、突っ込むと潰してしまいそうで・・・(察し))



太鼓丸⇔三十間台の石垣虎口


左・石垣+崖になっており、近づかない様にロープ張ってました。


これで落下するとしたら自業自得ですな。

(そもそも自分にゃ近づけませんがw)



津和野城最上部にある三十間台


ここは流石に整備不十分(草刈されてなかった)の為、虎口から標柱まで来て引き返しました・・・草無ければ対面に行って人質曲輪も見たんでしょうけど。。。


先程天守台が一段低い場所が珍しいと書きました・・・が、もしかしたら最上段って落雷の危険高かったので一段低い場所に天守建てたのかもしれませんね。


よく天守が火事で消失した場所を目にしてますが、半分は火の不始末(弘前城の櫓なんて煙草の火が原因ってなってましたし(怒))で、

残りの半分は落雷による出火が原因と思われる場所が多いんだとか。。。


(ちなみに戦争時の空爆もしくは残念な当時の日本軍が資材調達の為解体されてしまった場所も出火数に劣らない程多いそうで(="=;))




しかし、猛暑は多少和らいでいたものの、夏季の山城は見学には適しておりませんね・・・

この日も暑さが祟って集中力が切れ気味だったので。。。


それでも最低限の見学は出来たと思います。。。もう暫くは再訪しなくても良いかな?って思えるくらいには。。。



ま、お城の修繕はまだまだ随時行われると思われるので、再訪するとしたらそれが終了した頃になりますかね~。。。






とこんな感じで見学を終え、リフト乗り場に戻った訳ですが・・・途中に置いて来た杖が無くなっておりました・・・

誰か途中で持って行ったな、これw




ちなみに帰りのリフトですが・・・出出しがものすごく怖かった・・・


歴代乗ってきたリフトやロープウェーやケーブルカーって、意外と下りは平気だったのですが・・・ここのリフトは格別に怖かったです(半分過ぎからは全然大丈夫でした)




ちょっと前半記事と後半記事の割合ミスで今日の記事が圧倒的に短くなりました…反省w



次回からもう少し津和野記事を引っ張ります。

でわ今回はこの辺で( -ω-)/