こんばんは。



当初2泊3日で山陰方面を攻略しようと思ってました。

(会社が4連休だった・・・即位の儀の日が決まる前から決まっていたので、かなりの偶然だったと思われ)



が、遠征3日目って毎回疲労でグダグダになる事を流石に学習しましてw

予定組んでいる際、これ絶対3日目駄目だな・・・と思って1泊2日にしました。


ま、3日目に行こうとしていた場所はあえてまた遠征すればいいや(-Д-)b ってことでw





最初に訪問したのはこの日の行軍の拠点となる米子・・・念願の鳥取県初上陸ですヽ(゚◇゚ )/ワショーイ!

これで本州全都道府県制覇だJ!ヽ(゚◇゚ )/ワショーイ!

更にこの日の宿は米子に取ってあったんだZeヽ(゚◇゚ )/ワショーイ!



・・・取り乱しました(-ω-;)ゞ

 




飛行機なら米子きたろう空港の方が全然近いものの・・・以前も書きましたが、自分以前仕事でJALカード会員になっていた関係で、JALの行かない米子空港ではなく、あえて出雲縁結び空港から松江を経由して米子に来た次第です。


(実は米子空港経由もリサーチしましたが、米子空港は運航便の関係で朝早い便が無く、出雲空港経由と時間的に変わらなかったっていうのがあります。。。更に出雲空港往復便を利用すると松江からのJR費用を加味しても金額ほぼ変わらず、ならマイルが溜まったほうがお得じゃね?って事だった訳でw)




どうせ米子に戻ってくるので、駅のロッカーに必要最低限以外の荷物を置いておこうとしたのですが・・・


どこにもコインロッカー無いし~orz



この日東京は結構な雨降りだったんですが、米子まで雨降ってまして

(結構早い時間に止む予報だったのに・・・)


コインロッカー探す時間も惜しい為、しかたなくポンチョ着て(リュック濡れない様に)傘差して、いきなり重装備で町中を歩く事約15分で、米子城の続100名城スタンプと御城印を入手できる米子市立山陰歴史館に到着。

お城関連の展示品は少ないですが、撮影OKですし何より無料なのが良かったです(^ω^)v


ここで米子城のパンフレットも入手し、ここから徒歩約10分で




米子城登城口に到着。


登城口は複数ありますが、駅から徒歩で行くには一番近く、更に遺構の残る二ノ丸虎口から攻略致しました。



この時雨自体はそれ程ではなかったものの、霧雨が鬱陶しかったです(-Д-;)


ここの虎口、かなりダイナミックなんですが・・・皆様のように絶好の撮影スポット見つけられず残念な写真にw



旧小原家長屋門



御殿御用井戸跡


中村一氏が東軍に着くも、関ヶ原合戦前に病死した為、その子・一忠がわずか11歳で家督を継ぎ、米子藩主になったわけで。。。一忠もここの井戸を利用していたんでしょうか。


中村一氏という人物を知ったのは、大河ドラマ「功名が辻」でロンブー淳史氏が演じたのを見てはじめて認知したんです。

が、大河でいつもつるんでた堀尾吉晴・中村一氏・山内一豊の3名、後々いろいろな小説で見るにつれて自分の評価変わりましたw



やはり一番良く書かれないのは中村一氏で、渡辺官兵衛や可児才蔵の手柄を自分の物にしたりするエピソードが頻繁に書かれている為。。。


次に個人的評価逆転したのが山内一豊・・・大河では高感度あったのに、その後読む小説でただ思慮の無い猪武者で、千代のおかげで出世した・・・とボロクソに書かれていつしか刷り込まれて。。。


その点堀尾吉晴は「仏の茂吉」と呼ばれ、戦闘だけでなくも外交もこなし、秀吉に重宝された人物であったと持ち上げられて・・・一番地味だったのに一番評価高くなっちゃいましたなw





・・・すいません、また脱線しました(-Д-;)ゞ


米子城にもどりませう。



井戸の近くにある九十九折の登り・・・まぢすか!w


ここ数週間、週末雨天続きで全然外出してなかったので、完全な運動不足になっていて・・・動けないメタボになり下がっていまして・・・

雨天も重なり、実際にはそんなに高く無い(比高90m)はずの道が、とてつもなく険しく感じましたε=(´Д`;)



途中に分岐があり、右へ行くと搦手口への道と思われるもう1つの分岐に。



ここには米子城名物?と思われる登り石垣があります。


行った事無いけど、同じ鳥取県の鳥取城のとは違うワイルドなヤツですな。



その分岐の右側にあるのが内膳丸への石垣虎口



内膳丸は二段になっており、



上の段左手に内膳丸の標柱が(奥には東屋)


ここは石垣虎口以外特に見所は無いかと。




ここの名前に由来となった「内膳」とは中村家の家臣・横田村詮が由来とされておりますが、横田村詮は中村一忠に暗殺されてしまいます。


幼くして藩主になった一忠の後見役にして執政家老だったのに。。。


・・・中村家、どうも家臣を蔑ろにしてますな(危)


そのバチがあたったのか、一忠は20歳で早世し、跡継ぎがいなかった事で御家断絶してしまうわけで。。。










と、すいません、初・中・終わりと長々とうんちく等で脱線し書きすぎたので、ここで一旦区切らせて頂きます(汗)


次の記事が米子城のメインとなる為、すぐにupするようにしますので。



でわでわすんまそん( -ω-)/