フランス「ラークスシャルキスター4。」フェスティバル。
ホテルでのショーが終わったのが午前3時で寝たのが午前4時半。

7時半ごろ何やら外が騒がしい。何かと思いホテルのバルコニーから覗くと「コート・ダジュール マラソン」TV中継をしている。
私は今日ワークショップがあるのにこんな通行止めでどうやって人は来るのかなんて思った。それでもWSを無事に終えて夕方まで自由時間。
エジプト友人に頼まれた買い物をしにモールまで一人で行った。
ここの何と言っても最大の見所は、イギリス人によって作られたセレブな雰囲気漂う地中海沿いコルネーシュ(海岸通り)。
ここに今回のフェスティバル会場の高級ホテルやカジノがズラーとどこまでも軒を連ねる。
その中でもセレブの象徴のようにそびえるなんともパステルカラーな上品な佇みのネグレスコ超高級ホテルがすごい存在感。 フランスってなんでこうも芸術にあふれロマンチックなのだろう。心が豊かになりもっと居たい気分にさせる。
どうしても高級というと、私がよく行くアラブ首長国と比べてしまう。
どこまでも続く長~い地中海コルネーシュの先にその巨大モールはあって、その行く途中、片方に美しい地中海、片方に美しい山や丘に囲まれたそこに佇むローマ建築的な住宅。両方の美しさを眺めながら、ここはフランス領だけれど、ギリシャやローマ、スペインの影響を大きく受けてきた歴史が窺えると思った。
 



話によると日本のセレブでも知られるモナコはアラブ人があまり好かれないので、産油国のアラブ富豪はカンヌに別荘を持っているらしい。
レバノン人や西アラブ人の移住が多くフランス国籍を持ってここで働いている。
エジプト人はいないらしい。
世の中に偶然はないというけれど、ラークスシャルキに関わる自分が、
このようにスペインのアンダルシアもそうだったようにアラブの歴史と共に
アラブ人が今でも多く住むヨーロッパに招聘されて、そこでのベリーダンス人々と交流するとき、」そこの土地の歴史や民族性の影響を受けたスタイルがとても興味深く、これからの自分の公演でも参考にしたい。ラークスシャルキの懐の深さは、そのアラブ勢力が世界中に与えた影響、歴史の広さでもある。
ところでベリーダンスの本場といえばエジプトで知られている。
私も常日頃そう言っている。
今回のフェスティバル主催者は2人はアラブ人で、その一人である歌手でもあるレバノン人のジャメル氏が 


私に問うた。「ラークスシャルキを一番最初にエジプトに伝えたのは教えたのは一体 誰?」
私答え「あ、レバノン人だ」
改めてこのラークスシャルキの「広さ」を認識して、学び続けなくてはならない、
そんな瞬間でした。
この一言は大きな意味を持つし、なぜエジプシャンダンスと呼ばずに
シャルキと呼ぶかの所以でもある。
詳しくは2016春日本でのWSでじっくり語ります。
お楽しみに!

最後の日に皆でディナーをした。
今回世界中から集まったダンサーやミュージシャンが集まると、話題は全て踊りの事、音楽の事。
アーティスト同士それらについてそれぞれが意見を交換し合い、時には議論をする時、
本当に世界のベリーダンス仲間と交流しているそんな充実した実感がしました。

これからも益々エジプトでの長年のキャリアを生かし、
エジプトを拠点に世界中のベリーダンサーや
音楽家アーティストと交流を持っていきます。