いつぞやも書いたかも知れません。
重複していたらすみません。


人の発想というのは、脳にある情報を基に発想されるというのは私の考えです。
脳にある情報は広義の様々な体験の情報であろうかと思います。記憶しているしていないは別で体験は脳のどこかにインプットされています。

体験は経験かも知れません。
読書かも知れません。
人の話しから得るものかも知れません。
読書や会話から得られる疑似体験でもいいと思っています。
脳が刺激されるものが全て体験と捉えていますが、人間はその体験の延長線上でした発想できない。
発想できないのであれば、体験を増すしかないです。

新しい斬新な発想を得るために、私は読書と人との対話会話がもっとも効果的だと思っています。全く自分と違う、想定外の事を得られるから特にそう思う。

ただ誰でも自分自身の中にある決め事や判断基準や決め付けこだわりが、緩やかになれば、体験は多く、感動という体験も得られ、得難い体験が脳にインプットされます。逆に基準やこだわり、決めつけが強ければ、本来感動するだろう体験も全く得難いはずの体験も知識も、自己の推定枠内にすべて収まることになり、結局は自分の枠から抜け出せない場合が実に多いです。
自身が狭量のままで、自己の基準判断上でしか物事の判断はおろか人との出会い接し方全てが自分の枠を超えられず、必然と自分に近しい人か自分の判断こだわりなどを後押ししてくれる或いは認めてくれる人しか周りに置けなくなっていくものです。

これでは新しい気づきもなく、体験も脳に刻むべき新しい情報もないことになりますから、何も実は変わらないことになります。

たくさんの成功した人が幸せにも周りに意外と沢山いてそういう人を冷静に眺めてみていると、成長や成功というのは、この体験をどれだけ受け容れて楽しんで感動しているかという点とそれが出来るような自己の精神の開放が可能な点というのが、なんか共通しています。
これがだから鍵かなと最近この年齢になってわかるようになりました。

一言で言うなら…

馬鹿になりなさい。
寛容になりなさい。
人を受け容れなさい。
感動しなさい。
動きなさい。

ということかな。
あ、一言じゃなかったね。
すみませんです(笑)