本来ならば今日は多忙なはずでした。ですが、いろいろと考えるところあり、本来ならば私がやってしまえば早いものを、敢えて、答えを考えさせて、それが出てくるまで、私は敢えて動きませんでした。
私たちの仕事の多くは、結果を求められるものばかりです。ただ結果を求められるものの、本当に評価されるのは実はプロセスです。それに気がついて欲しいとも思う。
特にサービス業は人がそれを提供する以上、プロセスしか評価の対象になり得ません。
何故そう考え、どうしてそれが問題となり、価値の毀損、或いは創造となり、それがどのような結果を導き出すか、どのような問題を孕んでいるか、その問題をどのように解決していくか、それらすべてのプロセス、そのやり取りも含めたものが、価値の全てです。

原因と結果、想定されるリスクの認識とそれへの対処、問題が生じたときの打開策、それらを導き出すための思考とプロセス、全てが大切です。
何を隠そうクライアントは結果は水物だと案外知ってます。もちろん結果は直接評価の対象になりますし、良い結果はクライアントを喜ばしもする。ですが、実はこの一連のプロセスもとても重視しています。
このプロセスを細かくし、つぶさに処理し、その工程や対応の履歴までをみています。その対応と処理が適切な時、クライアントは私たちを始めて誠実と判断してくれ、信頼を得るのです。

失敗は糧になります。
ただし、宇宙兄弟よろしく、本気の失敗の時のみ価値があります。
本気とは何か、、、
それは過程にこそ現れるものです。

人がやることを真似てやることは時間さえかければある程度出来ます。人が書いた絵図面通り動くことも同じです。
素晴らしい映画やドラマが、人々に感動を与えるのは、何もシナリオや演出だけではありません。もしそうならば、どんな俳優でもどんな女優でも同じ感動を与えてくれるはずです。同じような印象を与えてくれるはずです。
ですが、男優や女優が変わると、同じ脚本や同じ演出でも印象は変わってきます。それが俳優の持つ雰囲気であり価値であるのと同じく、仕事においても、同じことをただやるのでは価値があるとは言えません。
何事においてもそうです。
それなりの技術は時間をかければ体得できます。ただし、人から評価されたり試合に勝つにはそれだけでは駄目です。当たり前のことは当たり前に努力をして、やれるようになってからが差別化されます。そこには並大抵の努力は当たり前に必要であり、それ以上の努力が必要です。更には価値のある失敗や成功も重ねて、自分のものにしていく必要があります。
それが考える力であり、思考することの重要なことです。

考えて行動する。
行動し考える。
自分で答えを見つけて、相手に提案し、そこで齟齬が生じれば是正し、共に成長する。これがとても大切です。

人が作ったもの、人が書いたもの、人が提示したものを、指摘するのは簡単です。それが主観で良いのなら、誰でも出来ます。
人が何故それを作ろうとし、どう書いて、どのようにしたいのか、それを踏まえ、理解した上で、初めて意味のある価値のある指摘となり、まただからこそ、その指摘が指摘のために留まらないものになるのです。

人は考える葦である…のである。