ほとんどの経営者は自分のために経営をしていると思います。それは悪いことではなく、それが当たり前のことです。
売上額や収益に応じて、自分のために働いたものをまずは自分の生活に充て、家族のために充て、従業員のために充て、その後に地域のために、日本のために、世界のためにと順を追って目的が変わっていくものです。
この変遷はマズローの考えにとても近いもので、それがごく普通の人です。

こう書くと、普通の人と呼ばれたくない人からすれば、俺は違うと言う方もいるでしょうが、こと経営に関しては、この普通の人の感覚があったほうが成功しやすいですね。周りが理解しやすいものでないとなかなか人には伝わらないものですし、ものを売るにしても何かをサービスするにしても圧倒的に多い普通の人たちをまず考えていくのは常道でもあり、この感覚はとても大切だと思っています。

自分自身で何かを取り組みたい、その先に自分でやってみたい、起業したいと、或いは現状から抜け出したい、逃げ出したいというネガテイブなものでも全く問題なく、動機はどうであれ、何か動き出しのその始まりがまずは自分が何をしたいか、自分がどうなりたいか、です。
ですが、ごく稀に、最初が自分でない人がいます。世界があっての自分、地域があっての自分、仲間があっての自分、従業員があっての私、家族があってこその私という考えをする人が稀にいます。
彼達からしては、自分のために周りを捉えていますから、自分のためにと信じてはいますが、最初に示した流れとは明らかに違う人がいます。
こういう人は、よく言えば我欲がなく、無私でありそうに写るので公明で徳があるように周りからは感じられるようですが、本人にその自覚はなく、加えて主体性に欠けていますから、物事がなかなかうまく運びません。周りは公明正大で仁徳溢れる人と感じますから、畏れ多く思う方も少なからずいて、そのうちこういう人は孤独感に苛まれていきます。

人はこの孤独感には耐えられず、歩み寄っていくうちに、その人の持つ世界観が徐々に狭くなり、小さくなり萎んでいきます。しかし、それは小さいですが、確実に幸福を得るものでもあります。

幸福は各々の自身から始まり集積される事で世の中が良くなるか、幸福な器を想像してのち各自が現実に合わせて希望を収斂させていく過程と結果にで世の中が良くなるか、いろんな見方ややり方があり、どれが正しいなどはありませんが、人とは違う事を考えやっている人はなかなか大勢の方には理解されにくく、孤独に陥り、結果に大勢に帰することが少なくありません。そのことが悪い事でもなく、責められる事でもないのですが、このマイノリティな考えが世界に平和をもたらすかも知れないというある種の期待はマジョリティな人も理解していかないと、本当の意味のイノベーションは産まれない、そんな風に思います。

恐らく、そうだそうだと感じた人は、恐らく私が応援したい人なのかも知れませんね。