パステルは、ルネサンス期(14~16世紀)初頭誕生し、18世紀には仕上げに耐える画材として定着しました。
印象派時代には、パステルで描かれた名画がたくさんあります。
型を使って色を抜く…という技法も、古くから存在します。
ステンシルって言われる最古の作品は、旧石器時代の洞窟壁画に残された手形だとも言われてるし。
日本でも、正倉院にそれらしい技法で描かれた作品が残っているそうです。
ま、そこまで遡らずとも、中世ヨーロッパくらいでいいかな。
画材も、技法も。
この数十年に始まったわけではなくて。
脈々と伝えられているものです。
画材の成分が改良され、質感や発色の違うものが作られ。
紙も、いろんなテクスチャのものが開発され。
さまざま、変化を経て、現在に至ります。
私達は、そういう画材や技法を、アレンジを積み重ねて作り出されたセオリーにのっとって。
ツールを利用して。
現在、楽しく使わせていただいているのです。
ほんの十数年のうちに、瞬く間に枝葉を広げ、分派を次々生み出している「パステルアート」ですが。
モトを辿れば、そういうこと。
組み合わせる素材や、型の駆使。
異素材の投入。
そんなことを工夫しながら、それぞれ、イメージ通りの絵を描けるように、技法を開発したり、改良したり、ミックスしたり。
下敷きとなるのは「誰でも簡単に描ける」ことを目的とした、パステルを使った技法メソッド。
同じメーカーの同じパステルを使い。
削り。
指やコットンなどで塗り広げ。
消しゴムで、抜く。
そのシンプルなステップは、シンプルなだけに、様々なバリエーションを生み出します。
そして。
手軽で楽しめて、出来上がったものは美しい。
そんな、素敵な「アート」の世界は…
利権
というものに、次第に、制限枠を作られ。
商標登録などの法律に縛られ。
認定資格の乱発により、お互いに牽制しあうひずみを生み出し。
真似した、盗んだ、無断で名乗った
と…およそ、芸術性の感じられない、狭い世界の中で繰り広げられる、奪い合いの世界を、織りなすようになったのです。
飽和してくると、新しい「技法」を「認定」する「新講座」が生み出され。
けれども、それらはいずれも、モトになる「削る、塗る、抜く」の範疇から出ることもなく。
小さな正方形の枠を、出たとしても、ほんのわずか。
絵というのは、無限の世界を生み出せる。
人類が人類として歴史を刻み始めた頃から、ヒトは絵を描いてきた。
その歴史の中で培ってきた画材や技法。
世界観。
この十数年という、ほんの短い時間のうちに、その輝きは利権に蝕まれてきた。
みんなが楽しく綺麗なものを作り出せるために生まれたメソッド。
今は…狭い世界の中で、お互いを食い合い、はじき出し合い、隙あらば出し抜きあう。
厳密なる成分配合…この色彩を出すためには○○と▽▽の配合比率は**:**で、溶剤はこれこれを用い……
秘匿すべき企業秘密とは、例えば、そういうものです。
そういうものが、「○○アート」に、ありますか?
技法をみんなで共有しあい、改良されたらまた共有しあい。
作られた優れた図案は、敬意をもって利用し合えるシステム。
そんなものを、作っていったらいいのじゃないのかなあ…。
夢のようなキレイな可愛い世界を描き出す人達なのに。
奪い合う世界観しか体現できないのは、悲しいことです。
著作権や意匠権をないがしろにしてる…とか。
何やってもイイ…とか。
そんな話は全くしてませんので、あしからず。
私が制作過程を細かすぎるくらいにUPしているのは、「確かに私が描いたものです」という証拠を残すという意味合いも含んでいます。
でも。
描き方など、誰にでもできる、基本のキの字しか使っていない身としてはね。
認定という「守り」に入ることが、すでに、意味のないことだ…って思うのです。
世に出せば、真似される。
常に、自ら、新しい境地への手がかりを探りながら、試行錯誤しながら、進み続ける。
一度、こういう世界に身を浸したならば。
「マネされないために守る」ことに必死になるよりも、常に進むことを考えるべし。
何がしたいの?
絵が描きたいんじゃないの?
権威になりたいの?
閉塞感の中で、盗られる心配ばかりして、周囲に目を光らせて。
お金は入ってくるかも知れないけれども…楽しいですか?
何を目指してますか?
発表すれば真似される。
でも発表しなくては知ってもらえない。
発表しなくては、講座もできない。
お金ももらえない。
講座を広めれば、さらに真似される。
勝手に名前を変えて、盗られる。
けれど、広めなくてはお金も入って来ない。
絵って…そういうものなのかなあ。
私には、よくわからない。
でも。
何かがおかしい…
ってことは、ひしひしと、感じます。
一度は同じ講座を教えて仕事にしたいと思ったことがある人間の、繰り言でございます。