僕の考え方、

忙しなく歩く人に道を譲ればいい
我先にと電車に入る人も同様

余裕がないんです、自分の事で手一杯なんです

怒ってる人はなんか上手くいかないんでしょう
人にあたってるならそれしか発散できないんだと思います。

そういった人にちょっとした「心」で譲ってあげましょう。

自分が本当に譲りたくないものさえ譲らなければいいんですから。


以上!
以下Facebookより。



流行語大賞や除夜の鐘で世間は賑わってますが

思うに「自分の事」を優先している世の中になったなと感じます

他者との関わりは関係ない
自分が今この時、感情に任せての発言

そういったものがSNSの普及によって
取り上げやすくなった、というのが一番大きいところでしょう。

実は言っている人そんなにいないんじゃないですか?
町、地区で数人ではないかなと

過去に選挙でヘイトスピーチしてる集団に関しての記事がありました

さも数千、数万人いるように見せて実はいない人々

さて、僕は自分が信心深いとは思っていません
神様はいればいいんじゃないかとかそれ位の感覚です。

でも、風習・文化は好き、と言うか根付いたものなので
大切にしています、墓参りだとか
そう言ったのは習慣だったので「信仰する」と言う意味での信心深くはないです。

縁だとか、繋がりだとか
そう言ったものから生まれる幸せを大切にしています
そうしていると、心が寛容になると思うんですよね

結局は「ありがとう」なんですが

自分のことばかりを考えると
この「ありがとう」を忘れます

古くから繋がる御先祖様が繋いできたものを
今この時この瞬間の為だけに止めさせてしまうのは如何なものかと。